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緑の岬から from Cabo Verde

アフリカに暮らしている日本人のブログです。人生のこと、人間のこと、宇宙のこと、精神のこと、神様のこと、いろんなことを書いていこうとおもいます。

「どんな仕事をしてるの?」

だいぶ更新の間があきました。。。

 

4月になり、新体制になりました。

直属の上司との相性が悪いということや、別の課の仕事を主にやっていたということは職場の誰もがわかっていたことだったので、僕は

「4月になったら隣の課に移れるぞ!今の上司と別れられる。それまでの辛抱だ」

と勝手に思っていました。

しかし、ふたを開けてみたらどうしたことでしょう。なにも変わりませんでした。

 

新しい期になっても相変わらず僕と僕の上司だけの課で、真となりに上司の机がある状況は変わりませんでした。

だからと言って、直属の上司からなにか仕事がふられるわけでもなく、やる仕事といったら、他の課の営業の仕事と雑用のみ。

 

僕が精神的にかなりやばくなっているということはおそらく誰も気づいておらず、表向きはただの「仕事ができない天然キャラの人」だったので、新体制が発表されたときは上司から、

「おい、一緒に海外営業課がんばろうぜ!」

とか、言われ、お昼ご飯をおごってもらいましたが、「がんばろう」と言ったって何も具体的な仕事をどうもこうも振らない上司とどう頑張ればいいのやらまったくわかりませんでした。

「お前、なにかやりたいことないのかよ!?」

とか聞かれても、

ー特にないです。

とか、強がって、

ーやっぱり営業で入ったので、営業の仕事がしたいですね。

と、力なく答えるだけでした。

 

課内会議で僕の処遇がすこし話題に出たときに、

 

―自信ないです・・・○○課長と一緒にやっていく自信がないんです・・・

 

と言ってしまったことがありました。

 

部の人員がみんな出席している会議の場で上司を名指しで「あなたと一緒にいたくない」に等しいことを言う僕の頭は間違いなくどうかしていました。

当時の僕は何を言われても詰問されているとしか思えなかったです。

 

しかし、上司との性格の不一致だけを責めることはできないです。

そもそも、この会社の僕がいる課の営業は、とってつけたように右から左に商品を流すだけの、そこそこ英語力があればだれでもできるような海外営業ではなく、まるで築地の魚市場の目利きの仲買人のような経験と知識が必要な業種だったからです。

入る会社を間違えたといえばそうなるのでしょうが、そんなこと言っても後の祭りでしょうから、当時の僕にとってはただただ地獄が続いていただけでした。

 

このころ祖母が亡くなって、福岡の実家に帰りました。

祖母の霊前で、子供のころに気が弱いくせに少し目立ちたがり屋で、祖母を不快にさせたこともあったことを思い出し、「あの時からなにも僕は変わってないんだな」と空しくなりました。

火葬の後、親戚から「○○くんはどんな仕事をしてるの?」と聞かれ、「東京の会社で営業の仕事をしているよ」と答えた後、なんだかとっても空しくなりました。

僕がやっていることは会社に来て、「必要とされていないいたたまれなさに耐えているだけ」で、「会社のために利益を上げる仕事」をしていたわけではなかったからです。

 

「仕事」という言葉が嫌で嫌でしょうがなくなり、仕事ができない自分自身が嫌で嫌でしょうがなくなった時期です。

 

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