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緑の岬から from Cabo Verde

アフリカに暮らしている日本人のブログです。人生のこと、人間のこと、宇宙のこと、精神のこと、神様のこと、いろんなことを書いていこうとおもいます。

ああ、本当に僕はダメなんだ・・・

2015年の1月になりました。

同僚の営業職の一人が「退職するかも」というような話になりました。

大喜びしました。

「やった!これで自分に仕事が回ってくる!もう毎日会社に行って何をすればいいのか、悩んで考えなくてもよくなるぞ!」

当時の僕は「私に手伝えることありませんか?」のセリフをどういうトーンで言おうかとか、「いや、『手伝いますよ』の言い方がいいかな、むしろ『手伝ってもいいですか?』と許可系で聞いたほうがいいのかな?」とか、もはや、自分で仕事を作るどうこうよりも、どういう言い方で「手伝います」と申し出ればいいかを推敲していたほどの精神状態でした。

夜眠る前に、

「すみません!それ、僕にやらせてください!」

や、

「いま手が空いてるので、なにかあったら声かけてくださいね!」

と、発声練習をしたこともありました。

 

仕事ください・・・と、職場で言う。たかがそれだけのことなのに、心臓が苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。頭に血が上って、いつものぼせている状態いました。

そんな状態の僕を職場の人は、ただ「ボーっとしてる」、「天然キャラ」としか見ていなかったと思います。

そんな状況でしたので、同僚の営業職が退職するというウワサを聞き、うれしくれ嬉しくて飛び上がりそうでした。

 

しかし、喜んだのもつかの間です。

「怒られてばっかりで仕事ができない、いつもボーっとしてる天然キャラ」という烙印を押された僕に、退職する営業職の仕事をぜんぶ継がせるほど上司も無謀ではありません。

 

部長「おい、○○課長、求人どうだ?いい応募あったか?」

課長「いや、なかなかないですね。当てにしてた他社の人が急に来られなくなったみたいで・・・」

 

そんな会話を耳にしました。

職場で何もすることがない僕がすぐそばにいるというのに、退職する営業職の後任の求人をかけたという事実を知りました。

 

そうか、本当に僕はダメなんだ・・・

これから、職場で何の仕事をどうやってやっていけばいいんだろう・・・

 

この時になって初めて、退社の2文字が頭に浮かびました。

上司からガミガミ言われて、毎日仕事を作れなくて苦しんでいた時期もなぜか「会社を辞めたい」とまでは思わなかった僕でしたが、この時になって初めて、パスワードを忘れかけていた転職サイトのマイページを開きました。

 

このころ、フランス語の学校で一緒の助手をしていた時代の友人と月島でもんじゃ焼きを食べました。友人は小さな商社に勤めていました。

「もう毎日毎日、朝からメールががんがん入ってて大変だよ~」

「こないだも出張でフィリピンに行かせられて、接待で向こうのフィリピンパブに付き合わされて、3泊4日だったけど、全然寝れなかった。マジもう飛行機乗りたくないわ」

「支社の人間がぜんぜん値段理解してくれなくてさ、電話で怒ってばっかりなんだよ」

「なんで入社早々数か月で海外出張に行かせられなきゃいけないんだよ~」

「社長からは『辞めるなら2か月前に言えよ、代わりを探さなきゃいけないからな』とか言われてさ~」

「あーほんと忙しくて死にそう。今週も会社の金でキャバクラ行って来たよ~」

云々・・・

 

彼は、それで、「会社辞めたい」と言います。

「今度利益が2000万くらいの仕事があるから、それが終わったら辞める。それくらいの利益を出せば、もういいでしょ!あんな会社」

と言っていました。

 

彼自身の個人の力で2000万円を稼げていると思っているのでしょうか。

会社があるからこそ2000万円の仕事ができているんじゃないでしょうか?

 

当時の僕の稼ぎと言えば、2,3日準備して利益4000円でした。

それを日報に書いたら、「こんなの部長に見せられないから出さなくていい」と言われました。

 

このころ、大使館で働いていた時に仲が良かった同僚が、外務省の職員(外交官)に採用されて、フランスの大学院に語学研修に行って、「元気にしてますか!?リヨンの領事館の○○さんに会いましたよ。大使館時代の話で盛り上がりました!」とメールをくれましたが、あまりにうらやましすぎて、メールを返す力が出ませんでした。ごめんなさい。素直になれなくてごめんなさい。

 

「もう少し会社を受けて様子見てもいいんじゃないの?」

そういえば、就職活動中、この会社に就職が決まったとき、母はそうアドバイスしてくれました。

どうしてこうなっちゃんだろう・・・自分の弱さが嫌になり、会社に入ったことを後悔しました。

 

もともと海外で仕事をしていた時は、

「任期が終わって日本に帰ったら、浅草とか高円寺あたりでゲストハウスかなんかを開業して、のんびり暮らしていきたいな」

そう思っていた時期もありました。実際に初期投資くらいの貯金も貯めていました。

ちょうど世間では訪日外国人観光客が急増しているというニュースが盛り上がり始めたころで、実際職場の近くのドンキホーテには大勢の中国人観光客で連日盛況。Airbnbをはじめ民泊ビジネスが巷を騒がし始め、インバウンドをどう取り込むかが僕の会社でも喫緊の課題でした。

 

ああ、完全に道を間違えた・・・と、会社から家に帰る帰りの電車の中で途方にくれました。

東武線の車窓からは高層マンションが見えます。足立区を過ぎた草加や越谷あたりでも2LDKで2500万円くらいはします。

一般企業の営業職で定年まで勤め上げ、都心から1時間のところではありますが、庭付きの一戸建てを購入し、子供3人を大学まで行かせて、ちゃんと育て上げた僕の父親は本当に偉いんだなと、30歳を過ぎて改めて思いました。

父が30歳、母が25歳の時、僕の姉が誕生しました。

ああ、僕はなんて恥ずかしい30歳なんだろう・・・

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