緑の岬から from Cabo Verde

アフリカに暮らしている日本人のブログです。人生のこと、人間のこと、宇宙のこと、精神のこと、神様のこと、いろんなことを書いていこうとおもいます。

会社員になったとき

初めまして、ミドリのミサキ(緑の岬)です。

今アフリカで国際協力の仕事をしている僕ですが、会社員だったころのことを書きたいと思います。

会社員時代はいろいろあったのですが、退社してそろそろ1年が経つ今になってようやくあのころのことをしっかり振り返れる気がしています。

 

会社員になったのは2014年の春、3年間現地の日本大使館で仕事をしていたアフリカから日本に帰ってきたときでした。僕は当時30歳でした。

大使館の仕事は総務と文化事業の仕事で、そんなにプライオリティが上の高度な仕事でもなかったので、適当に手を抜きながらだったけれども自分の中では意外とうまくやることができたと思っています。

留学や仕事で合計4年ほどアフリカに住んでいた、傍から見たら自由人みたいな僕ですが、

「日本の会社でふつうの仕事を探そう」

大使館での仕事の契約が終わって、日本に帰ってきた当時の僕はそう思っていました。

その理由はたくさんあります。

 

「同世代の大学の時の友達と比べて僕は社会人としていままでちゃんと仕事してこなかったな・・・」

とか

「大学を出てから、今までずっと公務員(新卒で公務員をしてました)とか、大使館とか、公的なお役所仕事みたいなことしかしてこなかったから、日本の普通の会社がどういうものか、せっかく日本で生まれたのだから働いてみたほうがいいんじゃないか」

とか、

「大使館では、僕と同年代の若い外交官の人が、政治家の通訳とか、現地政府の高官との交渉とか、国際会議の運営とか、色々とレベルの高い濃い仕事をしてた。それに比べて30歳になるまでいったい自分はなにやってたんだろう。ちゃんと30代の一社会人として、仕事できる人間にならなきゃダメだ」

とか、

「仕事で、報・連・相をしないといけないとわかっているけれど、きつい性格の上司になかなかちゃんと接することができなかったし、出張先の慣れない現場できびきび働けなかった。だからもう少し、強い自分にならなきゃ」

とか

「雑用しながら一日が過ぎていくようなこともあったし、もっと仕事らしい仕事をしたい」

とか、さらには

「海外で働く力は身に着けたから、日本の会社でも活躍できる人間になりたい」

など、今考えれば笑っちゃうようなことも思っていました。

 

そのようないろんなことを考えながら、帰国後はすぐに日本で仕事探しを始めました。

30歳になって無職になった息子を僕の父も心配して、知り合いの人事カウンセラーの方を紹介してくれて、銀座の喫茶店で相談をしてもらったこともありました。

そのころの会話。

「○○(僕)さんは日本の会社で働こうと思ってるんですよね。もったいないですね、せっかく海外で3年も働かれてきたのに。」

―そうですかね、むしろ海外で3年も働いたからこそ、日本でしっかり働きたいと思ってるんですよ。

「へえ、そうですか。アフリカに留学したりとか、フランス語もできるんだから、もっと冒険する人生を送るほうがあってるのかなと思ってましたよ。」

―いや、むしろ僕は日本の会社で働いたことがないので、日本の普通の会社で普通に働くということが僕にとっての「冒険」なんです。

「ああ、なるほど、そうなんですね(笑)」

 

そんな話をしたのを覚えています。相談の後は仕事が終わった父も合流して、銀座で久しぶりに父親とお酒を飲みました。

 

「アフリカの厳しい環境で、しかも大使館というちゃんとしたところで働いてきたんだから、ぜったいうまくやっていけると思うんだけどなあ」

 

お酒を飲んだ父はそんなことを言っていました。親バカですね。大学卒業後は公務員になったのですが、2年で退職して、ふらふらフランスに留学、帰国したと思ったらアフリカに行って30歳になるまで不正規採用で仕事をしてきた僕でしたので、「息子の人生を心配する父親の気持ちに答えて、安心させてあげたい」。今思うとそんなことも考えていたのだと思います。

 

そんなこんなでマイナビ転職とかDODAとかに登録して、ハローワークで失業保険をもらいながら就職活動を開始。

「せっかく海外にいたんだから、海外営業部のある商社みたいなところに入って、海外で仕事がしたいなあ」

とか、今考えたらおこがましい、本当に恥ずかしいことを考えていましたが、ともあれ、就職活動は無事に成功。東京にある本社の社員が300人くらいのまあまあ大きめの会社に入りました。

 

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