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緑の岬から from Cabo Verde

アフリカに暮らしている日本人のブログです。人生のこと、人間のこと、宇宙のこと、精神のこと、神様のこと、いろんなことを書いていこうとおもいます。

メンタルクリニックに通う

会社に入ってそろそろ10か月くらいがたつ頃のことです。

2015年の2月や3月ごろです。

当時の僕は「空気読め!」と言われてますます空気読めなくなる病気にかかっていました。

病名はわかりませんが、「もっと頭使えよ!」と言われてさらに頭が使えなくなる病気でもありました。

職場にいると頭がぼーっとしてのぼせてくるような感じです。入社以来ずっと頭の血が上っており、入社して10か月くらい経つのに、全然環境に慣れませんでした。

 

―みんな他の人は忙しくカタカタ仕事している中、自分だけ何もすることがなくて、元気のない声で「仕事ありませんか?」と聞くけど、みんなからは僕の直属の上司に遠慮してか「特にありません」と言われ、何もすることがなくて困っていると、上司からは「お前、本当になにもしねーよな!」と言われる・・・―

 

そんな状況が入社間もないころに続いた(少なくとも主観的には)からでしょうか、一応担当の顧客を少しだけ持たされ、あまりガミガミ怒られなくなった入社10か月目の時点でも、まったく職場に慣れませんでした。

慣れない仕事、慣れない上司、慣れない同僚、慣れない職場。もう10か月間毎日来ている会社なのに、いつも転校生みたいな言い知れぬ不安とともに会社に通っていました。

毎日違う設営会場の現場に行かされる派遣のアルバイトのような気分でした。

 

「空気読めない病」にかかった僕ですが、なんと「電話をかけるのが怖い」という営業職としては致命的な症状も併発していました。

かかってきた電話を取り次ぐのはそれだけで仕事している雰囲気感を出せるし、時間も消化できるのでよくやっていましたが、自分から電話をして、会話をするのは怖すぎて、階段下のロビーに降りてすることもしばしばでした。

 

これはおかしい・・・

さすがの僕もそう思って、メンタルクリニックに行くことを決めました。

「空気 読めない メンタル」とググったら

 

www.youtube.com

 

↑この動画が出てきたので、はじめはアスペルガー症候群なのかと思っていました。

行ったのは西新宿の雑居ビルの中にあるメンタルクリニックでした。小さくて7階くらいにあるところでしたが、予約がわりと埋まっていて、30分ごとに患者が出入りしているようでした。

yuk2.net

 

アスぺ・・・

問診票に「空気が読めないし、一度にいろんな仕事を同時にこなすことができないので、自分はアスペルガー症候群なのかもしれないと思います」と書き、10畳くらいの待合室で待っていると、

「○○(僕)さん、お入りください。」

と呼ばれました。

 

先生は40代半ばくらいで無精ひげを生やした理系のイチローみたいな人でした。

「えーっと、○○(僕)さんはアスペルガーじゃないかって思ってるんだよね?」

―はい、そうですね。職場で空気が読めないし、一度にいろんなことを同時にすることができないんです。

「え?一度に違うことをたくさんできる人間なんかいないよ~」

―・・・そうなんですか・・・

「そうだよ。僕だってできないもん。あたりまえじゃん。」

 

いろんなことを同時にたくさんできない人が僕の他にもいました。

―でも、なんか、インターネットの自己診断で『アスペルガーの兆候があります』って出てからそうなのかもと思ったんですが・・・

「ああいうのはね、気持ちが落ち込んでる人がうつ病の診断チャートをやってみたらみんなうつ病だと診断されるみたいなもんでね・・・」

―はあ・・・

「アスペルガーっていうのは子供のころから顕れてるものだからね。何か子供のころから人から変わってるって客観的に言われたことはあるかな?」

―そうですね、恐竜の名前を覚えるのが好きだったり、図鑑を見て動物の体長とか体重を覚えるのとか、変わってるって言われたかもしれません。

「うーん、そういう子供はたまにいるしなぁ・・・」

 

こんな会話をしながら、出てきた僕の病名は、

社交不安障害

でした。

 社交不安障害(しゃこうふあんしょうがい、: Social Anxiety Disorder: SAD)あるいは社交恐怖(しゃこうきょうふ、英:Social phobia)は、愚かに見えないかとか、場に合っていないのではとか、他人に辱められることに強い不安を感じるために、社交状況を避けたり、耐えていることによって、相当な苦痛があるとか生活に重大な支障があるという精神障害である。対して、正常な内気は、単に知り合いのいないパーティを怖がるといったものである。対して社交不安障害では、そうした社交状況においてほぼ毎回、動悸下痢発汗、時にパニック発作といった不安症状が起こる

出典:社交不安障害 - Wikipedia

 

自分の声が聴かれるのが嫌で電話ができない、会議などで人が集まってる現場に後から一人で入れない、人前でしゃべれない、人間関係を作ることが怖い、上司と会話ができない、目立つことが怖い、云々。

 

思いつく限りの自分の悩みを打ち明けると、「それは社交不安障害かもね」と言われました。

かつては「社会不安障害」とも呼ばれ、その名の通り、社会性が持てなくなり、「社交」ができなくなる病気だそうですが、一つ疑問がありました。

―でも、僕、外国に住んでたし、外国人の観光客とかと話したりするのはわりと好きなんですよ?それなのに、社交不安障害なんですか?

すると、

「その通り。外国人とか一見の相手には、わりと気軽に接することができるんだけど、仕事上の取引先とか上司とか、そういう大事な相手とコミュニケーションができなくなるのが社交不安障害なんだよ。」

だそうです。納得・・・

 

「部下の前で電話をするのが怖くてわざわざ誰もいないロビーに行って電話するのを相談しにくる社長さんとかもいるし、人前で話すのが怖くて怖くてたまらない先生とかたまにいるんだよねぇ」

先生はそんな話もしてくれ、僕はもっと悩みを聞いてほしくなったのですが、予約が30分おきに入っているそうで、「じゃ、不安感をなくすお薬を出しとくから、ここぞというときに飲んでね。ま、気楽に生きていきましょうよ!」とイソイソとカウンセリングを打ち切られました。

よく覚えていませんが、診察費は1500円~2000円ほど、薬も同じくらいでした。

 

人に悩みを話すだけで少し気持ちが楽になるんだな・・・

クリニックを出た後にそう思ったけれど、薬局まで歩きながら、ふと、

「ちょこちょこっと話して、薬だして、『気楽に生きていきましょうよ』と一言言って、2000円くらい請求する・・・ラクな仕事だな。今から死ぬ気で勉強して大学入り直せば僕もなれるかな・・・」

と少し思いました。

 

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ああ、本当に僕はダメなんだ・・・

2015年の1月になりました。

同僚の営業職の一人が「退職するかも」というような話になりました。

大喜びしました。

「やった!これで自分に仕事が回ってくる!もう毎日会社に行って何をすればいいのか、悩んで考えなくてもよくなるぞ!」

当時の僕は「私に手伝えることありませんか?」のセリフをどういうトーンで言おうかとか、「いや、『手伝いますよ』の言い方がいいかな、むしろ『手伝ってもいいですか?』と許可系で聞いたほうがいいのかな?」とか、もはや、自分で仕事を作るどうこうよりも、どういう言い方で「手伝います」と申し出ればいいかを推敲していたほどの精神状態でした。

夜眠る前に、

「すみません!それ、僕にやらせてください!」

や、

「いま手が空いてるので、なにかあったら声かけてくださいね!」

と、発声練習をしたこともありました。

 

仕事ください・・・と、職場で言う。たかがそれだけのことなのに、心臓が苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。頭に血が上って、いつものぼせている状態いました。

そんな状態の僕を職場の人は、ただ「ボーっとしてる」、「天然キャラ」としか見ていなかったと思います。

そんな状況でしたので、同僚の営業職が退職するというウワサを聞き、うれしくれ嬉しくて飛び上がりそうでした。

 

しかし、喜んだのもつかの間です。

「怒られてばっかりで仕事ができない、いつもボーっとしてる天然キャラ」という烙印を押された僕に、退職する営業職の仕事をぜんぶ継がせるほど上司も無謀ではありません。

 

部長「おい、○○課長、求人どうだ?いい応募あったか?」

課長「いや、なかなかないですね。当てにしてた他社の人が急に来られなくなったみたいで・・・」

 

そんな会話を耳にしました。

職場で何もすることがない僕がすぐそばにいるというのに、退職する営業職の後任の求人をかけたという事実を知りました。

 

そうか、本当に僕はダメなんだ・・・

これから、職場で何の仕事をどうやってやっていけばいいんだろう・・・

 

この時になって初めて、退社の2文字が頭に浮かびました。

上司からガミガミ言われて、毎日仕事を作れなくて苦しんでいた時期もなぜか「会社を辞めたい」とまでは思わなかった僕でしたが、この時になって初めて、パスワードを忘れかけていた転職サイトのマイページを開きました。

 

このころ、フランス語の学校で一緒の助手をしていた時代の友人と月島でもんじゃ焼きを食べました。友人は小さな商社に勤めていました。

「もう毎日毎日、朝からメールががんがん入ってて大変だよ~」

「こないだも出張でフィリピンに行かせられて、接待で向こうのフィリピンパブに付き合わされて、3泊4日だったけど、全然寝れなかった。マジもう飛行機乗りたくないわ」

「支社の人間がぜんぜん値段理解してくれなくてさ、電話で怒ってばっかりなんだよ」

「なんで入社早々数か月で海外出張に行かせられなきゃいけないんだよ~」

「社長からは『辞めるなら2か月前に言えよ、代わりを探さなきゃいけないからな』とか言われてさ~」

「あーほんと忙しくて死にそう。今週も会社の金でキャバクラ行って来たよ~」

云々・・・

 

彼は、それで、「会社辞めたい」と言います。

「今度利益が2000万くらいの仕事があるから、それが終わったら辞める。それくらいの利益を出せば、もういいでしょ!あんな会社」

と言っていました。

 

彼自身の個人の力で2000万円を稼げていると思っているのでしょうか。

会社があるからこそ2000万円の仕事ができているんじゃないでしょうか?

 

当時の僕の稼ぎと言えば、2,3日準備して利益4000円でした。

それを日報に書いたら、「こんなの部長に見せられないから出さなくていい」と言われました。

 

このころ、大使館で働いていた時に仲が良かった同僚が、外務省の職員(外交官)に採用されて、フランスの大学院に語学研修に行って、「元気にしてますか!?リヨンの領事館の○○さんに会いましたよ。大使館時代の話で盛り上がりました!」とメールをくれましたが、あまりにうらやましすぎて、メールを返す力が出ませんでした。ごめんなさい。素直になれなくてごめんなさい。

 

「もう少し会社を受けて様子見てもいいんじゃないの?」

そういえば、就職活動中、この会社に就職が決まったとき、母はそうアドバイスしてくれました。

どうしてこうなっちゃんだろう・・・自分の弱さが嫌になり、会社に入ったことを後悔しました。

 

もともと海外で仕事をしていた時は、

「任期が終わって日本に帰ったら、浅草とか高円寺あたりでゲストハウスかなんかを開業して、のんびり暮らしていきたいな」

そう思っていた時期もありました。実際に初期投資くらいの貯金も貯めていました。

ちょうど世間では訪日外国人観光客が急増しているというニュースが盛り上がり始めたころで、実際職場の近くのドンキホーテには大勢の中国人観光客で連日盛況。Airbnbをはじめ民泊ビジネスが巷を騒がし始め、インバウンドをどう取り込むかが僕の会社でも喫緊の課題でした。

 

ああ、完全に道を間違えた・・・と、会社から家に帰る帰りの電車の中で途方にくれました。

東武線の車窓からは高層マンションが見えます。足立区を過ぎた草加や越谷あたりでも2LDKで2500万円くらいはします。

一般企業の営業職で定年まで勤め上げ、都心から1時間のところではありますが、庭付きの一戸建てを購入し、子供3人を大学まで行かせて、ちゃんと育て上げた僕の父親は本当に偉いんだなと、30歳を過ぎて改めて思いました。

父が30歳、母が25歳の時、僕の姉が誕生しました。

ああ、僕はなんて恥ずかしい30歳なんだろう・・・

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そもそも完全に営業に向いていない

営業という職種が自分に全く向いていないと気付いたのは入社5か月くらい。

2014年の秋から冬にかけてです。

「自分で仕事作れ!」

という上司に、心が弱くなりながら

「すみません、担当の仕事を割り当ててください」

と勇気を出して伝え、社内失業状態を少し脱したころでした。

僕が受け持たせてもらえた会社は3社ほど。

1社を除いてはそもそも1、2年ほど前からまったく取引のない会社でした。

「もともと取引のない会社を担当するなら、会社の利益になるし、他の人の仕事を奪うことにはならない」

という理由でした。

初めの月は注文を少しくれました。うれしかったです。本当にうれしかったです。

商品が売れたのがうれしいというよりも、意味のある仕事がやっとできた、勤務時間に仕事をすることができた、ということで嬉しかったです。

ただ、その会社に売った商品の在庫もなくなり、すぐに何も注文を取れなくなりました。

理由は「ウチの在庫が高い」からでした。

 

―○○を××円くらいで販売できるのですが、買っていただけませんか?

「あ、それじゃ高いですね。うーん無理です。」

そうですか、じゃあ他に今必要なものはありますか?

「うーん、特にないんで、何か出てきたら連絡します。」

―はい、よろしくお願いします・・・

 

お客様は「何か出たら連絡します」とはおっしゃいますが、何か出て連絡が来たためしはありませんでした。

しかもたったの3社です。最大でも一日3回電話したら仕事は終わります。

 

―注文ありませんか?と聞いて断られるんですが、どうしたらいいですか?

と上司に聞いたら、

「『注文ありませんか』と聞いて断られるんだったら、どう聞いたら注文もらえるかを考えろよ!」

と言われました。一瞬「え、禅問答?」という気がしましたが、当然の指摘ですね。

なので、「△×や●○が××円であるんですが、どうですか?」と提案しながら聞いてみたりもしたのですが、「あ、そうですか。じゃあ、とりあえず送ってください。」と言われ、「やっぱり、使えませんでした。」と返送されることにもなりました。

僕の会社はそれなりに大きめの会社だったので、「とりあえず送ってください」というお客様としては「まあ有力な会社だし、かわいそうだから話くらいには付き合ってやろうか。返送料がかかるくらいだ」と心の中では思ってるようでした。

普通は商品を送って、全く売れずに送り返されれば、ショックになったり、「なにくそ!」と思って躍起になったりするのが一般的だと思うのですが、悲しいかな、その時の僕はむしろ、

「どうせ売れない商品を準備して送るだけでも勤務時間が埋まる仕事になる」

という気持ちも半分くらいありました。

 

このころ、そもそも「買ってください」と言うのがとても苦手なので自分に営業は向いていないことに気付きました。

 

http://24h.aratana.jp/?p=12683

 ↑営業のコツ(コツがわかってもそのままできりゃ苦労しないんだよ・・・)

 

営業の技術とはコミュニケーションだとか、相手の心をつかむことだとか、相手に好かれる技術だとか、いろいろ言われますが、要するにいざとなったら相手の懐に入って

「○○さん、買ってくださいよ。お願いしますよぉ。今月厳しいんすよ。頼みます!」

とか言えるくらいの人間関係を生み出す力だと思いますので、僕に営業職のセンスや能力がないということがこの時期にわかりました。

 

この時期に嫌だったのは、情けない話ですが日報を書くことです。

担当を得たといっても、正直なところ取引のない3社だけなので、しかも僕に営業能力がないので、注文をもらえず、注文がもらえないとまた社内失業状態になるだけなので、あまり日報に書くことがありません。

他の人が細かく、営業内容や数字を書いているのに、僕は3行くらいしか書くことがないこともありました。

上司からはコメントで、

「あなたの一日はこれだけでしたか?」

と書かれることもありました。きっと同僚からは、

「あのひと何やってるんだろう」

「暇そうでうらやましい」

「あれで今までどうやって仕事してきたのかな」

「私はこんなに忙しいのに」

「あの人、何がしたいんだろう」

いろいろ思われていたと思いますが、僕だって好きでこうなってるわけじゃありません。

 

この時期は仕事でミスを多くしていた時期でした。

上司「お前、友達とかにどんな仕事してるのと聞かれたらなんて答えてるの?」

僕 「営業の仕事をしていると答えてます。」

上司「ふうん、お前がしてること営業の仕事だと思ってほしくないんだけど」

 

売り上げも出せないし、ミスが多いし、仕事中なにもすることがなくなってしまう僕のしていることは確かに営業の仕事ではありませんでした。

 

ただ、この時期は良いことも少しありました。

まず、それまでガミガミ言ってきた直属の上司が「こいつにガミガミ言っても逆効果、こいつは俺が思ってるほど優秀なヤツじゃない」と悟ったことと、隣の課の課長が色々と仕事を振ってくれるようになったことです。

そして次に、一般客の接客をしたことです。

この時期に年末セールのイベントがありました。基本的に僕の会社はメーカーで小売りはしないのですが、年に数回イベントがあり、そこでは一般のお客さんに販売をしました。

一般客に接客をしたときのことです。いろいろと付け焼刃で、怒られながら身に着けた商品知識ですが、僕が熱心に説明をして勧めた商品を、気に入って買ってくれた2人のお客さんがいました。

その2人のお客様は会社の違う課の社員の知り合いだったようで、後から言われました。

「○○(僕)さんが接客したお客さん、私の知り合いなんですよ。買った商品、とっても気に入って、すごく満足してましたよ」

その時は涙が出るくらいとても嬉しかったです。

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 注)別にピストンを売ってたわけじゃありません

仕事をください・・・

上司は「営業職は自分で仕事を作り出すもの」と考えています。

しかも、僕を「それができる人材」だと考えています。

「営業職は自分で仕事を作り出すもの」と考えている上司は、こう言います。

「既存の顧客を持ってりゃ誰だって注文なんてもらえる。でも、それはただのコンビニの店員と一緒で、営業じゃない。下さいと言われるものをただ出すだけ。そんなの営業じゃない。だからお前は営業なんだから、自分で仕事を作り出せ。」

営業部にはほかにも営業職の平社員が3人いましたが、上司に言わせればその3人はただのコンビニの店員と同じであって、ほんとの意味の営業職ではないそうです。

 

普通の新入りの営業職のキャリアプロセスは以下だと思います。

 

1.雑用、手伝いを社内でしながら基本を覚える。

2.先輩と一緒に商談について行って、営業ノウハウを覚える。

3.既存の優良な顧客を何件か先輩から引き継いで、営業の仕事を覚えていく。

4.営業に慣れてきたら自分で新規の営業先や新しい商品企画をするなどして仕事を自分で作り出す。

 

僕は1のプロセスで止まっていました。しかも商品リストの作成とかの仕事で、エクセルの表計算とかミスが多く、怒られてばかりでした(まあこれは僕が悪いです・・・)。

 

まずは2や3のプロセスを僕はしたかったのですが、上司からはいきなり4を要求されるわけです。

まあ上司としては、それができる器だと思って僕を採用したのでしょう。なにしろ履歴書的には、元国家公務員で、海外の大使館で働いてて、英語もフランス語も堪能で経験豊富な30歳の中堅社員でしたから。

最初は僕も「新卒の社員じゃないんだから、僕は最初から4の仕事ができなきゃダメだ!」とできない自分を責めていましたが、やはりそれが無理なことに気付き、上司に思い切って勇気を出して、「新卒社員と同じように仕事をください」と言おうと決心しました。というより、社内失業の状態にもう耐えられなくなっていました。

入社からだいたい3、4か月したくらいの頃です。

 

「課長、すみません、まずは課長のいうような『コンビニの店員』と同じでもいいので、何か仕事をください。既存の顧客を僕に割り当ててください・・・」

 

勇気がいりました。

僕は、普段、無表情で、何考えているんだかわからないとか、感情の起伏がないように見られがちなのですが、このころは心臓が痛かったです。

 

「ふうん、で、どこの顧客が良いの?どこの顧客の売り上げを月にどれくらいあげられるの?それを言わなきゃお前に顧客なんか渡さねーよ」

 

痛む心臓を心で握りつぶしながら言った僕に、上司はそう吐き捨てました。

 

上司は軽い気持ちで言ったのでしょうが、僕はますます心臓が痛くなりました。

 

―そうですね、○○社とか、△●貿易とかですね。

「なんで?」

―やはり、大手だし、注文も多いので、営業の勉強になるんじゃないかと思うので・・・

「は?じゃあ××商事を担当したら勉強にならないの?そもそも勉強になるかどうかなんかで担当の会社持たせられないんだけど。」

 

僕は「はい、わかりました」しか言えませんでした。

上司の言う通り、売り上げ目標も持たないまま「担当顧客をください」と言った自分を責め、顧客別の売り上げ資料を見て、データを調べてから数日後にもう一度上司に提案しようと思いました。

 

売り上げのデータを見る作業なんて勤務時間中にやるべきではないということはわかります。しかし、翌日の朝も周囲に「手伝うことはありませんか?」と聞いても「特にない」と言われ、社内失業状態に・・・

仕方ないので、メモを取りながら会社の売り上げデータを見ていました。

みんな周りは忙しそうに仕事しているのに、自分だけはPCでカタカタ売り上げのデータを見ているという状況。顧客別の売り上げ数値をメモしながら罪悪感と居心地の悪さで頭と心がいっぱいでした。

しかも、この日に限って普段午前中は外回りに出ることの多い上司が真横の席にいます。見張られているようで心臓が苦しくなります。

「こんなこと就業時間中にやってたらなんか言われるんじゃないか・・・」、「データを見る作業なんて仕事とは言えない・・・でも他にやることがない・・・」、「上司に一言断りを入れたらいいんじゃないか・・・でも、逆に怒られそうだ・・・」

そんな言いようのない不安感が頭を交錯しながらパソコンをたたいていました。

 

すると、上司がこう言いました。

 

「あのさぁ、朝から見てるけどよ。言っとくけど、お前がやってること、仕事じゃねえからな・・・!」

 

案の定、怒られました。心臓が引き締めらるように痛かったのを今でも思い出します。

―すみません・・・あの、なにか、僕にできる仕事があれば、手伝うんですけど・・・

「お前、『手伝います』しか言えねーのかよ!?じゃあいーよ、ずっとそれやってろよ!」

―すみません・・・

 

僕は顔色変えず、そう言って、トイレに行って、顔を洗いました。

この息苦しさがいつまで続くんだろう。「仕事をつくる」ただそれだけのことに躓く、自分は本当にダメな人間だ。つらい、つらい、どうすればいいんだろう・・・

前の職場は仕事がもともと与えられていてラクだったな・・・でも普通の会社員ってこんなにつらいんだ。やっぱり僕は今までラクをしてきただけだったんだ・・・

そう思いましたが、まだ会社を辞めたいとは思いませんでした。

 

僕はこんなに落ち込んでいたのですが、感情をあまり表に出せない性格だったので、上司は僕がこんなに落ち込んでいることに気付いていなかったようです。

 

その数日後、収集したデータをもとに売り上げが比較的少ない顧客を3社のみ割り当てられることになりました。

とりあえず、これで社内失業状態から少し脱することができたので、ほっとしたのを覚えています。

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社内失業状態に陥った僕の精神状況と仕事状況

僕がこの会社に入社したのは2014年の6月です。やめたのは2015年の7月です。なのでだいたい一年間会社にいました。

僕の会社での状況を時系列にするとこうなります。

 

6月:営業職ということで、入社。まずはコピー取りや在庫の整理、商品リストの作成などの雑用をしながら商品について勉強する。

 

7月:入社1か月が過ぎるのに、雑用以外の仕事がまったく振られないのに気づいて、焦る。周りの人や上司に「仕事ありますか?手伝うことありませんか?」と聞いても「特にない」と言われることが苦痛になる。

 

8月:上司は僕を「優秀なヤツ」と思っているので、雑用以外の仕事をしない(できない)僕を「お前、何の仕事もしてねえよな!」や「雑用やってんじゃねえよ!」的なことを言いながら怒る。怒られた僕は仕事を作り出せない自分に落ち込む。

 

9月:勇気を出して「僕はあなたの思っているような優秀な人間じゃないので、新入社員と同じような環境で仕事をください」と言い、本来であれば別の課の担当だった3社だけ客先を与えられる。社内失業状態を少しだけ脱する。

 

10,11月:与えられた顧客が3社だけで、絶対数として自分の勤務時間すべて費やすほどの仕事量にならない。それにそもそもそんなに注文をくれるようなところじゃなく、はじめは「最初だから」と少し注文をくれたが、「注文ありませんか?」と聞いても「特に今は注文ないです」となげやりに扱われ出す。社内失業状態復活。

 

12月:顧客に営業の電話をしても「間に合ってます」の一点張り。2、3日準備をして利益が4000円ほどの商談にしかならない。自分にはそもそも営業センスなんてないんだということに気付く。

 

1月:同僚の営業職の社員が退職をする話を聞き、「やった!自分に顧客が回ってくる!社内失業状態じゃなくなる!」と喜んだが、退職するその社員の穴を埋めるために求人をかけたことを知らされ、「僕は全く必要とされてないんだ」と入社後初めて退社の選択肢を考えだす。

 

2月-3月:時期的に春の新製品の注文がたくさん入り、ミスをいろいろしまくって怒られ続けていたけれど、社内失業状態からは解放。少しのあいだだけ、気が休まる。

エンヤの歌を聞くと心がやすらかになることに気付く。

 

4月:年度が替わり、まともに会話すらできなくなっていた直属の上司のもとを去り、営業部内の隣の課に転籍できるものだと信じて疑わなかったのにも関わらず、前年度と同じ体制が施行されることが発表(涙目)。

「空気読めよ」と言われるたびに空気読めなくなるという負の連鎖に陥り、自分はアスペルガー症候群じゃないかと疑い、メンタルクリニックに通うと、別の病名と判明。

 

5月:祖母が亡くなり、数日仕事を休む。祖母の霊前で、子供のころから何も変わらない自分の心の弱さを祖母に詫びる。葬儀の後、親戚に「今どんな仕事をしてるの?」と聞かれ、心が痛む。

 

6月:退職届提出。

 

7月退社。

 

こんな感じですね。いままでの記事はだいたい8月、9月くらいまでの出来事と僕の精神状態についてでした。これからの記事は10月以降の話になります。

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優しかった先輩、隣の課の課長、本当は優しかった直属の上司

入社して2か月くらいのこと。

入社したてなのに来る日も来る日も仕事が与えられず、周りは忙しそうにしているのに、自分は何もすることがない。そんな状況にいたたまれなくなりながら雑用をしている。そんな僕に上司は「お前なにもしねえなぁ!」とネチネチ怒る。

そんなつらい状況に必死に耐えて頑張っていたころのことです。

仕事が終わったあとに先輩から誘われて飲みに行きました。

先輩は僕より一回り年上で、僕と同じ中途採用ですが、同じ業界で20年くらいやってきたベテランの方です。

優しい方で、仕事を振ってくれたり(まあ雑用ですが)、わからないことを聞くと、丁寧に教えてくれる人でした。

 

「○○(僕)くんさぁ、前の職場ではどんな仕事だったの?」

―前のところですか?基本的な仕事は出張者の人のホテルとか、航空券とか、車とかを手配したり、空港まで送り迎えしたりする仕事でした。

「え?そういうのは俺もやってたよ。他にはないの?」

先輩は他の会社で海外支社に駐在していたこともある人でした。

―あとは、そうですね・・・日本に行きたい学生に対して日本政府の奨学金の受付をしたり、留学生の募集をしたりとかいう仕事です。

「そうなんだ。」 

そういうと、先輩はこう言いました。

 

「ちゃんと頑張んなきゃダメだよ。」

 

え・・・?僕はこんなに頑張ってるのに、なんでそんなこと言うんだろう・・・

「○○(僕)くんね、見てるとさあ、仕事ないの?自分の給料分くらいは利益ださないとさあ、やっぱり意味ないからさあ。」

その時に気付きました。

僕は自分では頑張っているつもりでしたが、僕ががんばっていたのは「つらい状況に耐えること」や「相性が悪い上司との関係に悩むこと」や「周りの人に『仕事くれませんか?』と言う勇気を出すこと」でした。

けれども、先輩の言う「頑張る」とは、「営業職として会社の利益のために営業成績を出す努力すること」でした。

僕が以前の職場、大使館でしていた仕事は現実世界(民間企業)では「ただの雑用」だったことに今気づきました。

 

www.ihcsa.or.jp

↑前の仕事はここのこれです。 

空港送迎や出張の手配、ホテル・航空券の予約なんて、なんのお金も生み出さないただの雑用、普通の会社では暇な人がやればいいだけのことだったのですね。

「ただの雑用を仕事だと思って、何の費用対効果もコスト意識も持たずに時間をかけていただけだったんだなあ・・・」

そう思って、前の職場にいた3年間が空しく思えてきました。

 

よくこういうのがあります。

いじめられっ子が、いじめっ子からのイジメやクラス中からの無視に耐えてながら、頑張って学校に登校してくる。

でも、いじめられっ子はいじめられないように体力をつけるとか、勉強を頑張るとか、いじめっ子に殴り返すとか、そういうことを「頑張っている」わけではないのです。

昔は、いじめが原因で自殺するニュースを聞いてて、

「自殺するくらいなら学校行かなきゃいいじゃん。どうせ自殺するなら自殺する前にいじめっ子に復讐してから自殺すればいいじゃん。」

とか思っていましたが、精神的に落ち込んでしまうとそんな冷静で前向きな判断もできなくなるのだということが30歳を過ぎてわかりました。 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

先輩は、僕が社内失業状態に陥っていることはわかっていたようですが、

「雑用ばかりして、自分から仕事をしようとしない人」とだけ思っていたようで、僕が社内失業状態で精神的に塞いでいるということはわからなかったようです。

 

先輩の他にもう一人優しい(という温和な)人がいました。

隣の課の課長です。

隣の課の課長は新入社員のころはもともと僕の直属の上司のもとで、いびられ、しごかれながらそれでも負けまいと仕事で実力をつけて成績を上げて課長まで昇進した人で、それだけでも本当に尊敬する人でした。

「君は頑張ってるよ」

とか

「偉いね」

とか、

「君は頭いいんだからさ」

とか、傍から見たら「雑用ばかりして自分から仕事を何もしない人」で上司から怒られているだけの僕にいろいろと慰める言葉を言ってくれました。

正直なところ、「君は頑張ってるよ」と口では言ってくれますが、心の中ではそう思っていないことはわかりました。よそよそしかったし、褒め言葉と表情がぜんぜんあっていなかったです。

それでも口でそう言ってくれるだけでそのころは本当にうれしかったし、元気になれました。

 

色々ときついことを言う僕の直属の上司も、ただ単に性格が悪いから、僕をいじめたいから嫌味を言っているわけではなく、本当は、「俺はあいつに期待してる」、「早くできる人材になってほしい」、「自分で仕事を生み出せるビジネスマンになってほしい」、「会社のしっかりとした戦力になってほしい」と思ってるから僕にきつく当たるのだということもわかっていました。

隣の課の課長が飲みに誘ってくれたときのこと。

 

「あのね、さっき君の直属の上司から電話があってね、その人なんて言ってたと思う?」

―え、なんて言ってたんですか?

「『今日もあいつのことガミガミ怒っちゃったから、俺から飲みに誘ってもあんまり意味ないからさ、お前からあいつのこと慰めてやってくれないか?』って言ってたんだよ」 

そんなこと後から言うなら、最初から怒らなきゃいいのに・・・

と一瞬だけ思いましたが、「このまま会社にいて耐えていれば何かいいことあるんじゃないか」と思い直して、「あの上司も心の中は本当は優しいんだ。よし明日から頑張ろう」と考えていました。

 

優秀な営業マンや会社の創業者等、社会で成功する人にはサイコパスな人が多いそうですが、そういう人は無意識のうちに、優しい言葉と暴力を巧みに繰り返して、アメとムチで人の心をうまく支配していくそうです・・・

一般的な認識とは異なり、多くのサイコパスは、冷血漢でも精神異常の殺人鬼でもない。彼らの多くは、自らの特性を生かして人生で欲しい物を獲得し、多くの場合は他人を犠牲にしながら、一般人の中でうまく生活している。≪NEWS WEEK≫より

www.newsweekjapan.jp

 

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「仕事 ない つらい」でググる

 

入社して3、4か月は何も仕事は与えられず、「自分で考えろ!」と言われるのみ。

まあ、正確には何も与えられないわけではないのですが、たまに商品のリストを作らされたり、検品をさせられたりはありました。「リストが見づらい」とキレられたり、「仕事が遅い」と怒られたりしました(仕事が遅いのは僕のせいですね・・・)。

つらいです。慣れない職場で、慣れない上司、慣れない仕事というより仕事自体があまりないのですから。

ところで、僕のいた海外営業課は専門商材の営業部に属しているのですが、その営業部には国内営業課もありました。小さい部だったので、海外営業課の課長も国内のお客さんを持っていたり、国内営業課も海外とやりとりをしたりしていました。海外営業課自体も国内営業課から独立する形で始まった課なので、やや曖昧なすみわけでした。

幸運なことに、隣の課の課長はあまりきついことを言わない優しい人だったので、隣の課の課長の手伝いなどをしたり、ときおり同じ課の同僚から頼まれる検品の仕事などをして勤務時間を過ごしていました。

しかしながら、やはりそれだけでは就業時間が埋まるはずもなく、「手伝うことください」と課長や同僚に聞いてばかりの日々が続き、いたたまれなくなり、次第に「手伝うことをください」すらも言えなくなりました。

というか、具体的なことは何も言わないのに「手伝うことありますかじゃねえだろ!」や「自分で考えろ!」と言う直属の上司にまともに会話ができなくなりました。

 

そんなころ、「仕事、ない、辛い」をキーワードにググってみました。

意外とたくさんヒットして、同じ悩みを抱えてる人がいてるのがわかってちょっとうれしかったです。

 

boreout.jpn.org

↑これとか 

会社で仕事がない日が多く、とても困っています。 - 第二新卒で今... - Yahoo!知恵袋

↑これとか

 

いろんな書き込みがありました。

新入社員に自分の仕事を奪われて、「仕事ありませんか?」と周りに聞いても「ありません」と言われてばかりの30歳くらいのOLの書き込みでは、

「少しだけ与えられる仕事をゆっくりゆっくりやって一日を過ごしていましたが、勇気を出して会議の時に『仕事がなくてつらいです』と言ったら、上司も気を使って仕事を振ってくれるようになりました。」

とかの体験が書かれていました。

当時の僕は勇気を出せなかったので、とてもうらやましかったです。

 

ただ、中には

「30歳過ぎて自分で仕事を探せないのは社会人失格です。新入社員じゃないんですよ。甘えないでください。」

なんていう意見もありました。

 

面白かったのは

「私は毎日スクリーンセーバーの作動状況を確認しています。」

という書き込みでした。

これには笑えたので、このころはまだ精神的にはまだ余裕があったのだと思います。

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