緑の岬から from Cabo Verde

アフリカに暮らしている日本人のブログです。人生のこと、人間のこと、宇宙のこと、精神のこと、神様のこと、いろんなことを書いていこうとおもいます。

仕事をください・・・

上司は「営業職は自分で仕事を作り出すもの」と考えています。

しかも、僕を「それができる人材」だと考えています。

「営業職は自分で仕事を作り出すもの」と考えている上司は、こう言います。

「既存の顧客を持ってりゃ誰だって注文なんてもらえる。でも、それはただのコンビニの店員と一緒で、営業じゃない。下さいと言われるものをただ出すだけ。そんなの営業じゃない。だからお前は営業なんだから、自分で仕事を作り出せ。」

営業部にはほかにも営業職の平社員が3人いましたが、上司に言わせればその3人はただのコンビニの店員と同じであって、ほんとの意味の営業職ではないそうです。

 

普通の新入りの営業職のキャリアプロセスは以下だと思います。

 

1.雑用、手伝いを社内でしながら基本を覚える。

2.先輩と一緒に商談について行って、営業ノウハウを覚える。

3.既存の優良な顧客を何件か先輩から引き継いで、営業の仕事を覚えていく。

4.営業に慣れてきたら自分で新規の営業先や新しい商品企画をするなどして仕事を自分で作り出す。

 

僕は1のプロセスで止まっていました。しかも商品リストの作成とかの仕事で、エクセルの表計算とかミスが多く、怒られてばかりでした(まあこれは僕が悪いです・・・)。

 

まずは2や3のプロセスを僕はしたかったのですが、上司からはいきなり4を要求されるわけです。

まあ上司としては、それができる器だと思って僕を採用したのでしょう。なにしろ履歴書的には、元国家公務員で、海外の大使館で働いてて、英語もフランス語も堪能で経験豊富な30歳の中堅社員でしたから。

最初は僕も「新卒の社員じゃないんだから、僕は最初から4の仕事ができなきゃダメだ!」とできない自分を責めていましたが、やはりそれが無理なことに気付き、上司に思い切って勇気を出して、「新卒社員と同じように仕事をください」と言おうと決心しました。というより、社内失業の状態にもう耐えられなくなっていました。

入社からだいたい3、4か月したくらいの頃です。

 

「課長、すみません、まずは課長のいうような『コンビニの店員』と同じでもいいので、何か仕事をください。既存の顧客を僕に割り当ててください・・・」

 

勇気がいりました。

僕は、普段、無表情で、何考えているんだかわからないとか、感情の起伏がないように見られがちなのですが、このころは心臓が痛かったです。

 

「ふうん、で、どこの顧客が良いの?どこの顧客の売り上げを月にどれくらいあげられるの?それを言わなきゃお前に顧客なんか渡さねーよ」

 

痛む心臓を心で握りつぶしながら言った僕に、上司はそう吐き捨てました。

 

上司は軽い気持ちで言ったのでしょうが、僕はますます心臓が痛くなりました。

 

―そうですね、○○社とか、△●貿易とかですね。

「なんで?」

―やはり、大手だし、注文も多いので、営業の勉強になるんじゃないかと思うので・・・

「は?じゃあ××商事を担当したら勉強にならないの?そもそも勉強になるかどうかなんかで担当の会社持たせられないんだけど。」

 

僕は「はい、わかりました」しか言えませんでした。

上司の言う通り、売り上げ目標も持たないまま「担当顧客をください」と言った自分を責め、顧客別の売り上げ資料を見て、データを調べてから数日後にもう一度上司に提案しようと思いました。

 

売り上げのデータを見る作業なんて勤務時間中にやるべきではないということはわかります。しかし、翌日の朝も周囲に「手伝うことはありませんか?」と聞いても「特にない」と言われ、社内失業状態に・・・

仕方ないので、メモを取りながら会社の売り上げデータを見ていました。

みんな周りは忙しそうに仕事しているのに、自分だけはPCでカタカタ売り上げのデータを見ているという状況。顧客別の売り上げ数値をメモしながら罪悪感と居心地の悪さで頭と心がいっぱいでした。

しかも、この日に限って普段午前中は外回りに出ることの多い上司が真横の席にいます。見張られているようで心臓が苦しくなります。

「こんなこと就業時間中にやってたらなんか言われるんじゃないか・・・」、「データを見る作業なんて仕事とは言えない・・・でも他にやることがない・・・」、「上司に一言断りを入れたらいいんじゃないか・・・でも、逆に怒られそうだ・・・」

そんな言いようのない不安感が頭を交錯しながらパソコンをたたいていました。

 

すると、上司がこう言いました。

 

「あのさぁ、朝から見てるけどよ。言っとくけど、お前がやってること、仕事じゃねえからな・・・!」

 

案の定、怒られました。心臓が引き締めらるように痛かったのを今でも思い出します。

―すみません・・・あの、なにか、僕にできる仕事があれば、手伝うんですけど・・・

「お前、『手伝います』しか言えねーのかよ!?じゃあいーよ、ずっとそれやってろよ!」

―すみません・・・

 

僕は顔色変えず、そう言って、トイレに行って、顔を洗いました。

この息苦しさがいつまで続くんだろう。「仕事をつくる」ただそれだけのことに躓く、自分は本当にダメな人間だ。つらい、つらい、どうすればいいんだろう・・・

前の職場は仕事がもともと与えられていてラクだったな・・・でも普通の会社員ってこんなにつらいんだ。やっぱり僕は今までラクをしてきただけだったんだ・・・

そう思いましたが、まだ会社を辞めたいとは思いませんでした。

 

僕はこんなに落ち込んでいたのですが、感情をあまり表に出せない性格だったので、上司は僕がこんなに落ち込んでいることに気付いていなかったようです。

 

その数日後、収集したデータをもとに売り上げが比較的少ない顧客を3社のみ割り当てられることになりました。

とりあえず、これで社内失業状態から少し脱することができたので、ほっとしたのを覚えています。

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社内失業状態に陥った僕の精神状況と仕事状況

僕がこの会社に入社したのは2014年の6月です。やめたのは2015年の7月です。なのでだいたい一年間会社にいました。

僕の会社での状況を時系列にするとこうなります。

 

6月:営業職ということで、入社。まずはコピー取りや在庫の整理、商品リストの作成などの雑用をしながら商品について勉強する。

 

7月:入社1か月が過ぎるのに、雑用以外の仕事がまったく振られないのに気づいて、焦る。周りの人や上司に「仕事ありますか?手伝うことありませんか?」と聞いても「特にない」と言われることが苦痛になる。

 

8月:上司は僕を「優秀なヤツ」と思っているので、雑用以外の仕事をしない(できない)僕を「お前、何の仕事もしてねえよな!」や「雑用やってんじゃねえよ!」的なことを言いながら怒る。怒られた僕は仕事を作り出せない自分に落ち込む。

 

9月:勇気を出して「僕はあなたの思っているような優秀な人間じゃないので、新入社員と同じような環境で仕事をください」と言い、本来であれば別の課の担当だった3社だけ客先を与えられる。社内失業状態を少しだけ脱する。

 

10,11月:与えられた顧客が3社だけで、絶対数として自分の勤務時間すべて費やすほどの仕事量にならない。それにそもそもそんなに注文をくれるようなところじゃなく、はじめは「最初だから」と少し注文をくれたが、「注文ありませんか?」と聞いても「特に今は注文ないです」となげやりに扱われ出す。社内失業状態復活。

 

12月:顧客に営業の電話をしても「間に合ってます」の一点張り。2、3日準備をして利益が4000円ほどの商談にしかならない。自分にはそもそも営業センスなんてないんだということに気付く。

 

1月:同僚の営業職の社員が退職をする話を聞き、「やった!自分に顧客が回ってくる!社内失業状態じゃなくなる!」と喜んだが、退職するその社員の穴を埋めるために求人をかけたことを知らされ、「僕は全く必要とされてないんだ」と入社後初めて退社の選択肢を考えだす。

 

2月-3月:時期的に春の新製品の注文がたくさん入り、ミスをいろいろしまくって怒られ続けていたけれど、社内失業状態からは解放。少しのあいだだけ、気が休まる。

エンヤの歌を聞くと心がやすらかになることに気付く。

 

4月:年度が替わり、まともに会話すらできなくなっていた直属の上司のもとを去り、営業部内の隣の課に転籍できるものだと信じて疑わなかったのにも関わらず、前年度と同じ体制が施行されることが発表(涙目)。

「空気読めよ」と言われるたびに空気読めなくなるという負の連鎖に陥り、自分はアスペルガー症候群じゃないかと疑い、メンタルクリニックに通うと、別の病名と判明。

 

5月:祖母が亡くなり、数日仕事を休む。祖母の霊前で、子供のころから何も変わらない自分の心の弱さを祖母に詫びる。葬儀の後、親戚に「今どんな仕事をしてるの?」と聞かれ、心が痛む。

 

6月:退職届提出。

 

7月退社。

 

こんな感じですね。いままでの記事はだいたい8月、9月くらいまでの出来事と僕の精神状態についてでした。これからの記事は10月以降の話になります。

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優しかった先輩、隣の課の課長、本当は優しかった直属の上司

入社して2か月くらいのこと。

入社したてなのに来る日も来る日も仕事が与えられず、周りは忙しそうにしているのに、自分は何もすることがない。そんな状況にいたたまれなくなりながら雑用をしている。そんな僕に上司は「お前なにもしねえなぁ!」とネチネチ怒る。

そんなつらい状況に必死に耐えて頑張っていたころのことです。

仕事が終わったあとに先輩から誘われて飲みに行きました。

先輩は僕より一回り年上で、僕と同じ中途採用ですが、同じ業界で20年くらいやってきたベテランの方です。

優しい方で、仕事を振ってくれたり(まあ雑用ですが)、わからないことを聞くと、丁寧に教えてくれる人でした。

 

「○○(僕)くんさぁ、前の職場ではどんな仕事だったの?」

―前のところですか?基本的な仕事は出張者の人のホテルとか、航空券とか、車とかを手配したり、空港まで送り迎えしたりする仕事でした。

「え?そういうのは俺もやってたよ。他にはないの?」

先輩は他の会社で海外支社に駐在していたこともある人でした。

―あとは、そうですね・・・日本に行きたい学生に対して日本政府の奨学金の受付をしたり、留学生の募集をしたりとかいう仕事です。

「そうなんだ。」 

そういうと、先輩はこう言いました。

 

「ちゃんと頑張んなきゃダメだよ。」

 

え・・・?僕はこんなに頑張ってるのに、なんでそんなこと言うんだろう・・・

「○○(僕)くんね、見てるとさあ、仕事ないの?自分の給料分くらいは利益ださないとさあ、やっぱり意味ないからさあ。」

その時に気付きました。

僕は自分では頑張っているつもりでしたが、僕ががんばっていたのは「つらい状況に耐えること」や「相性が悪い上司との関係に悩むこと」や「周りの人に『仕事くれませんか?』と言う勇気を出すこと」でした。

けれども、先輩の言う「頑張る」とは、「営業職として会社の利益のために営業成績を出す努力すること」でした。

僕が以前の職場、大使館でしていた仕事は現実世界(民間企業)では「ただの雑用」だったことに今気づきました。

 

www.ihcsa.or.jp

↑前の仕事はここのこれです。 

空港送迎や出張の手配、ホテル・航空券の予約なんて、なんのお金も生み出さないただの雑用、普通の会社では暇な人がやればいいだけのことだったのですね。

「ただの雑用を仕事だと思って、何の費用対効果もコスト意識も持たずに時間をかけていただけだったんだなあ・・・」

そう思って、前の職場にいた3年間が空しく思えてきました。

 

よくこういうのがあります。

いじめられっ子が、いじめっ子からのイジメやクラス中からの無視に耐えてながら、頑張って学校に登校してくる。

でも、いじめられっ子はいじめられないように体力をつけるとか、勉強を頑張るとか、いじめっ子に殴り返すとか、そういうことを「頑張っている」わけではないのです。

昔は、いじめが原因で自殺するニュースを聞いてて、

「自殺するくらいなら学校行かなきゃいいじゃん。どうせ自殺するなら自殺する前にいじめっ子に復讐してから自殺すればいいじゃん。」

とか思っていましたが、精神的に落ち込んでしまうとそんな冷静で前向きな判断もできなくなるのだということが30歳を過ぎてわかりました。 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

先輩は、僕が社内失業状態に陥っていることはわかっていたようですが、

「雑用ばかりして、自分から仕事をしようとしない人」とだけ思っていたようで、僕が社内失業状態で精神的に塞いでいるということはわからなかったようです。

 

先輩の他にもう一人優しい(という温和な)人がいました。

隣の課の課長です。

隣の課の課長は新入社員のころはもともと僕の直属の上司のもとで、いびられ、しごかれながらそれでも負けまいと仕事で実力をつけて成績を上げて課長まで昇進した人で、それだけでも本当に尊敬する人でした。

「君は頑張ってるよ」

とか

「偉いね」

とか、

「君は頭いいんだからさ」

とか、傍から見たら「雑用ばかりして自分から仕事を何もしない人」で上司から怒られているだけの僕にいろいろと慰める言葉を言ってくれました。

正直なところ、「君は頑張ってるよ」と口では言ってくれますが、心の中ではそう思っていないことはわかりました。よそよそしかったし、褒め言葉と表情がぜんぜんあっていなかったです。

それでも口でそう言ってくれるだけでそのころは本当にうれしかったし、元気になれました。

 

色々ときついことを言う僕の直属の上司も、ただ単に性格が悪いから、僕をいじめたいから嫌味を言っているわけではなく、本当は、「俺はあいつに期待してる」、「早くできる人材になってほしい」、「自分で仕事を生み出せるビジネスマンになってほしい」、「会社のしっかりとした戦力になってほしい」と思ってるから僕にきつく当たるのだということもわかっていました。

隣の課の課長が飲みに誘ってくれたときのこと。

 

「あのね、さっき君の直属の上司から電話があってね、その人なんて言ってたと思う?」

―え、なんて言ってたんですか?

「『今日もあいつのことガミガミ怒っちゃったから、俺から飲みに誘ってもあんまり意味ないからさ、お前からあいつのこと慰めてやってくれないか?』って言ってたんだよ」 

そんなこと後から言うなら、最初から怒らなきゃいいのに・・・

と一瞬だけ思いましたが、「このまま会社にいて耐えていれば何かいいことあるんじゃないか」と思い直して、「あの上司も心の中は本当は優しいんだ。よし明日から頑張ろう」と考えていました。

 

優秀な営業マンや会社の創業者等、社会で成功する人にはサイコパスな人が多いそうですが、そういう人は無意識のうちに、優しい言葉と暴力を巧みに繰り返して、アメとムチで人の心をうまく支配していくそうです・・・

一般的な認識とは異なり、多くのサイコパスは、冷血漢でも精神異常の殺人鬼でもない。彼らの多くは、自らの特性を生かして人生で欲しい物を獲得し、多くの場合は他人を犠牲にしながら、一般人の中でうまく生活している。≪NEWS WEEK≫より

www.newsweekjapan.jp

 

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「仕事 ない つらい」でググる

 

入社して3、4か月は何も仕事は与えられず、「自分で考えろ!」と言われるのみ。

まあ、正確には何も与えられないわけではないのですが、たまに商品のリストを作らされたり、検品をさせられたりはありました。「リストが見づらい」とキレられたり、「仕事が遅い」と怒られたりしました(仕事が遅いのは僕のせいですね・・・)。

つらいです。慣れない職場で、慣れない上司、慣れない仕事というより仕事自体があまりないのですから。

ところで、僕のいた海外営業課は専門商材の営業部に属しているのですが、その営業部には国内営業課もありました。小さい部だったので、海外営業課の課長も国内のお客さんを持っていたり、国内営業課も海外とやりとりをしたりしていました。海外営業課自体も国内営業課から独立する形で始まった課なので、やや曖昧なすみわけでした。

幸運なことに、隣の課の課長はあまりきついことを言わない優しい人だったので、隣の課の課長の手伝いなどをしたり、ときおり同じ課の同僚から頼まれる検品の仕事などをして勤務時間を過ごしていました。

しかしながら、やはりそれだけでは就業時間が埋まるはずもなく、「手伝うことください」と課長や同僚に聞いてばかりの日々が続き、いたたまれなくなり、次第に「手伝うことをください」すらも言えなくなりました。

というか、具体的なことは何も言わないのに「手伝うことありますかじゃねえだろ!」や「自分で考えろ!」と言う直属の上司にまともに会話ができなくなりました。

 

そんなころ、「仕事、ない、辛い」をキーワードにググってみました。

意外とたくさんヒットして、同じ悩みを抱えてる人がいてるのがわかってちょっとうれしかったです。

 

boreout.jpn.org

↑これとか 

会社で仕事がない日が多く、とても困っています。 - 第二新卒で今... - Yahoo!知恵袋

↑これとか

 

いろんな書き込みがありました。

新入社員に自分の仕事を奪われて、「仕事ありませんか?」と周りに聞いても「ありません」と言われてばかりの30歳くらいのOLの書き込みでは、

「少しだけ与えられる仕事をゆっくりゆっくりやって一日を過ごしていましたが、勇気を出して会議の時に『仕事がなくてつらいです』と言ったら、上司も気を使って仕事を振ってくれるようになりました。」

とかの体験が書かれていました。

当時の僕は勇気を出せなかったので、とてもうらやましかったです。

 

ただ、中には

「30歳過ぎて自分で仕事を探せないのは社会人失格です。新入社員じゃないんですよ。甘えないでください。」

なんていう意見もありました。

 

面白かったのは

「私は毎日スクリーンセーバーの作動状況を確認しています。」

という書き込みでした。

これには笑えたので、このころはまだ精神的にはまだ余裕があったのだと思います。

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社内失業とパワーハラスメント

「パワハラ」と言う言葉は主観です。

僕からしたらパワハラかもしれませんが、客観的に見たらパワハラじゃないかもしれません。そのへんのことは理解しながらこれからの記事を読んでください。

「やった!海外営業部だ!」と、喜び勇んで入った会社ですが、主観的にいうところの「パワハラ」にあいました。

パワハラにもいろいろありますが、ネグレクト系のハラスメントです。

平たく言えば「いろいろ怒られて、心が弱くなり、社内失業状態に陥り、本当に嫌な精神状態になりました」ということです。退社して約1年。ようやく振り返れるようになったので、書いてみたいと思います。

僕の課は合計5人くらいで、営業職が僕と僕の直属の上司(課長)だけでした。

僕が仕事を辞める原因の一つとなったのが課長との関係なのですが、僕を採用したのは他ならぬ課長その人でした。

「海外営業課の成績を伸ばしたい」とか、「もっと事業を増やしたい」とか思って、一応履歴書的には「国際的な人材」だった僕を「こいつは見込みがある」と思って雇ってくれたのでしょう。

課長は僕より5歳ほど年上なだけの営業マンとしてはとても優秀な人でした。

「会社の営業利益の10%を自分一人でたたき出すのが目標」とか言ってる人で、実際10%とは言わないまでも5%くらいは出してるような人でした。当時会社の年商は約400億円で営業利益は約10億円でした。

 

会社に入ってその課長から言われた言葉を思い出しながら、つらつら書いてみます。

 

「(嘲笑しながら)お前、新卒の社員みたいだな」

「お前と話してる時間もコストになるんだよ!」

「(就業後、「お疲れ様でした」と言うと)お前、今日何やってたの?」

「何もやってねえな!お前。さっきから見てると。」

「お前がやってること、仕事じゃねえからな!」

「お前、何が得意なの?はぁ!?資料作成?てめえ営業だろ!」

「ゆとり世代だっけ?」

「来週から1千万円稼いで来て。」

「お前の仕事を奪うぞ。」 

 

などなど、活字にするとたいしたことないのですが、すぐ隣の席がその上司だったし、実際に間近で同僚に聞こえるように言われるとかなり落ち込んでしまう言葉でした。

 

だいたい入社して1か月くらい経つか経たないかくらいの頃です。

何もすることがなくなりました。

意味が分からないかもしれませんので、言い方を変えます。

僕がやる仕事がなにもありませんでした。

入社した直後は会社のシステムを教わったり、同じ課の人の仕事を手伝ったり、コピーをとったり、在庫を整理したり、雑用をしていました。

最初の1,2週くらいは分かりますが、いくらなんでも1か月もそんな雑用を続けているとなんか不安になってきます。

「海外営業課」と言うからには、しかも中途採用なのだから、海外の既存の顧客があって英語で調整をする仕事があるんだろうと思っていたのですが、来る日も来る日もなんの担当の仕事ももらえず、上司に

「何か仕事ありませんか?手伝うことは?」

と聞いても、

「特にない」

と言われます。

僕自身はなにもすることがないのですが、周りの人は忙しそうに自分の仕事をカタカタやっています。

課長じゃなくて同僚の人に「手伝うことありませんか?」と聞いても、「特にないです」と言われてしまいます。

こんなことが続いて、入社1、2か月程度の新入社員なのに、リストラいじめにあっている窓際族の中年のサラリーマンみたいな気持になってきて、職場の居心地がかなり悪くなってきました。いわゆる社内ニート、社内失業状態です。

(後でわかったのですが、僕が課長の直属の部下だったので同僚は僕に仕事を手伝わせるのを遠慮していたみたいです)

 

そんなある日、課長から、

「お前、見てるとさぁ何もしてないんだよな」

と言われました。正直「え?」と思いました。

さらに「俺はお前が何の仕事するか見てるんだよ」とも言われました。

仕事は基本的に与えられるものだと思っていたので、

「そんなこと言われても、いったいどうすればいいんだろう・・・」

ますます困ってしまいました。

今思えば、この時に、

「すみません。そんなこと言われても、僕が仕事くださいって言っても、課長仕事くれないじゃないですか?何の仕事するのか見てるって言っても、仕事ふってくれないと僕は何もできません」

と堂々と言ってしまえばよかったのでしょうが、気が弱くて気の強い人に反抗できないくせに、強がりでやせ我慢な性格(フクザツな性格です・・・)のせいで、

「はい、わかりました・・・」

としか言えませんでした。

 

僕に求められていることは「わかりました」が、かと言って、日々職場に来てなにをすればいいかは「わかりません」。

なので、その日からも、朝は

「すみません。何か手伝うことありませんか?」

と毎日のように上司や同僚に聞かなければいけない状況でした。

夜寝る前は「明日はやることあるのだろうか?」とか「どういうふうに『手伝うことありませんか?』と聞けばいいか?」を考えながら寝ていました。

何もすることがない僕の周りで、同僚が忙しそうに仕事をしているという状況がとてもつらかったです。

そんな僕に上司は、

「手伝うことありませんか?じゃねーだろ!お前なにもできねーのかよ!」

とか、

「自由にしろって言ってんのに、お前なにもしねえよな!」

とイライラしながら言います。

怖いです。きついことを言われるのも嫌だし、かといって何もできない自分にも嫌になります。

僕が同じような業界で働いてきた中途採用者であればよかったのかもしれませんが、その会社に入る前にしていた仕事と言ったら、日本に行きたい海外の学生の奨学金選考の事務とかでしたので、そういうお役所仕事みたいなことを続けてきた僕には、右も左もわからない業界で、全く知らない仕事を、「好きにやれ!」と言われてもどだい無理な話でした。

 

あとから思ったのですが、課長が海外営業課の営業職に僕を雇ったのは、

「こういう仕事があり、こういう商品を注文するこういう英語の顧客があって、注文を聞いたり、発注の調整をしたりする業務のポストの人がいなくて困っているところに僕が面接にやってきた」

のではなく、

「海外の営業活動を成長させたい。もっと売り上げを伸ばしたい」と課長が漠然と思っていたところに、僕が面接にやってきた。

というかたちだったようです。

 

「サラリーマンじゃなくてビジネスマンになれ」

入社日に課長からそういわれました。

その時はなんとなくしか意味が分からなかったのですが、「会社の売上の5%をたたき出す優秀なビジネスマンである課長が求める人材」と「英語ができるといっても海外ののんびりした大使館で総務課のような仕事をしてきただけの僕」とのしかるべき摩擦だったのだと思います。

 

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入社した時の気持ち

入社した会社の名前は伏せますが、東京にある会社です。

JASDAQに上場している、その業界ではまあまあ有名なメーカーです。

メーカーですが会社の製造部で使用する専門商材を、ほかの会社に売ることもしていて、僕が採用されたのはその営業部でした。他のメーカーや他の卸に専門商材を卸す、言ってみれば「卸問屋」、格好良く言えば「専門商社」のよ

 

うなところで、その中の海外営業課に配属をされました。

「配属をされた」と言っても面接のときに「海外営業課を希望します」と言ったのが僕自身でしたので、自分から希望しての入社でした。

 

大学を出てから2年間は公務員だったし、3年間は海外の日本大使館で働いてきたので、いわゆる「会社」というところで働くこと自体初めての僕。しかも専門商材の卸売というまったくやったことがない分野の仕事に、どうして30歳の若手と言えない年齢の僕が雇ってもらえたのかというと、

履歴書的には

「海外の大使館で3年間仕事をしてきた国際的な人材」

とか

「英語もフランス語もできてタフで優秀で仕事ができる人」

というイメージを持たれていたからだと思います。

 

ともあれ、夢の「専門商社の海外営業部」のようなところに入れた僕は本当にうれしかったです。

Facebookで報告をしたら、少ない僕の友達たちですが、50人くらいは「いいね」を押してくれましたし、うれしさあまって仲のいい友達にはメールで報告もしました。

 

入社の日は期待より緊張が上回っていましたが、ここでこれからずっと頑張っていこう。帰国したときに持った「30歳になるまで自分は同世代の周りの人に比べてしっかりと仕事をしてこなかった」という負い目のようなものをなんとか払拭したい、そんな気持ちがありました。

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会社員になったとき

初めまして、ミドリのミサキ(緑の岬)です。

今アフリカで国際協力の仕事をしている僕ですが、会社員だったころのことを書きたいと思います。

会社員時代はいろいろあったのですが、退社してそろそろ1年が経つ今になってようやくあのころのことをしっかり振り返れる気がしています。

 

会社員になったのは2014年の春、3年間現地の日本大使館で仕事をしていたアフリカから日本に帰ってきたときでした。僕は当時30歳でした。

大使館の仕事は総務と文化事業の仕事で、そんなにプライオリティが上の高度な仕事でもなかったので、適当に手を抜きながらだったけれども自分の中では意外とうまくやることができたと思っています。

留学や仕事で合計4年ほどアフリカに住んでいた、傍から見たら自由人みたいな僕ですが、

「日本の会社でふつうの仕事を探そう」

大使館での仕事の契約が終わって、日本に帰ってきた当時の僕はそう思っていました。

その理由はたくさんあります。

 

「同世代の大学の時の友達と比べて僕は社会人としていままでちゃんと仕事してこなかったな・・・」

とか

「大学を出てから、今までずっと公務員(新卒で公務員をしてました)とか、大使館とか、公的なお役所仕事みたいなことしかしてこなかったから、日本の普通の会社がどういうものか、せっかく日本で生まれたのだから働いてみたほうがいいんじゃないか」

とか、

「大使館では、僕と同年代の若い外交官の人が、政治家の通訳とか、現地政府の高官との交渉とか、国際会議の運営とか、色々とレベルの高い濃い仕事をしてた。それに比べて30歳になるまでいったい自分はなにやってたんだろう。ちゃんと30代の一社会人として、仕事できる人間にならなきゃダメだ」

とか、

「仕事で、報・連・相をしないといけないとわかっているけれど、きつい性格の上司になかなかちゃんと接することができなかったし、出張先の慣れない現場できびきび働けなかった。だからもう少し、強い自分にならなきゃ」

とか

「雑用しながら一日が過ぎていくようなこともあったし、もっと仕事らしい仕事をしたい」

とか、さらには

「海外で働く力は身に着けたから、日本の会社でも活躍できる人間になりたい」

など、今考えれば笑っちゃうようなことも思っていました。

 

そのようないろんなことを考えながら、帰国後はすぐに日本で仕事探しを始めました。

30歳になって無職になった息子を僕の父も心配して、知り合いの人事カウンセラーの方を紹介してくれて、銀座の喫茶店で相談をしてもらったこともありました。

そのころの会話。

「○○(僕)さんは日本の会社で働こうと思ってるんですよね。もったいないですね、せっかく海外で3年も働かれてきたのに。」

―そうですかね、むしろ海外で3年も働いたからこそ、日本でしっかり働きたいと思ってるんですよ。

「へえ、そうですか。アフリカに留学したりとか、フランス語もできるんだから、もっと冒険する人生を送るほうがあってるのかなと思ってましたよ。」

―いや、むしろ僕は日本の会社で働いたことがないので、日本の普通の会社で普通に働くということが僕にとっての「冒険」なんです。

「ああ、なるほど、そうなんですね(笑)」

 

そんな話をしたのを覚えています。相談の後は仕事が終わった父も合流して、銀座で久しぶりに父親とお酒を飲みました。

 

「アフリカの厳しい環境で、しかも大使館というちゃんとしたところで働いてきたんだから、ぜったいうまくやっていけると思うんだけどなあ」

 

お酒を飲んだ父はそんなことを言っていました。親バカですね。大学卒業後は公務員になったのですが、2年で退職して、ふらふらフランスに留学、帰国したと思ったらアフリカに行って30歳になるまで不正規採用で仕事をしてきた僕でしたので、「息子の人生を心配する父親の気持ちに答えて、安心させてあげたい」。今思うとそんなことも考えていたのだと思います。

 

そんなこんなでマイナビ転職とかDODAとかに登録して、ハローワークで失業保険をもらいながら就職活動を開始。

「せっかく海外にいたんだから、海外営業部のある商社みたいなところに入って、海外で仕事がしたいなあ」

とか、今考えたらおこがましい、本当に恥ずかしいことを考えていましたが、ともあれ、就職活動は無事に成功。東京にある本社の社員が300人くらいのまあまあ大きめの会社に入りました。

 

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