緑の岬から from Cabo Verde

アフリカに暮らしている日本人のブログです。人生のこと、人間のこと、宇宙のこと、精神のこと、神様のこと、いろんなことを書いていこうとおもいます。

私が成りたいと熱望したものに 成り得なかったそのことが 私を慰める

For thence, -a paradox-

  Which comforts while it mocks,

  Shall life succeed in that it seems to fail :

  What I aspired to be,

  And was not, comforts me:

  A brute I might have been, but would not sink i' the scale.

 (RABBI BEN EZRA  by Robert Browning)

 

 それ故に 一つの逆説だが 

それは嘲りつつも 慰めるもの

 人生とは失敗と見ゆるところにて 成功する

 私が成りたいと熱望したものに 成り得なかったそのことが 私を慰める

 私は野獣となり得たであろう しかし その様にまで 落ち込むを欲しなかった

(ラビ ベン エズラの一篇 ロバート・ブラウニング)

 

 人生は必ずしも自分の思う通りにはいかない。失敗はつきものだ。受験に失敗、恋愛に失敗、就職に失敗、結婚に失敗。毎日の生活のすべては自分の思う通りには行かない。本当になりたい理想の自分になることができた人は、世界の人口のいったい何割だろう。

 僕は大学を卒業したときに、願っていた仕事に就けたが、2年で辞めてしまった。後悔はしていないが、あのころの同期は今の僕の2倍くらいの年収をもらっているかもしれない・・・責任ある立場で仕事を堂々と仕事をしているんだろう・・・そう考えると、少し悔しい。そして、「悔しい」と思ってしまう自分が恨めしい・・・

僕はもう30代だけれど、10代のころに思っていた30代になれているだろうか。10年前に想像していた30代とは、きっと程遠い。

 

 私が成りたいと熱望したものに なり得なかったそのことが 私を慰める

 

 なぜだろう、この詩は、苦しみとともに生きて行くことに、期待すら持たせる。苦しいからこそ、慰められるのだろう・・・と。熱望が叶わなかった、その苦しみこそが人を生かすのだろうか、その苦しみを持つからこそ自然と湧き出る祈りによって、人は生きていけるのだろうか。

この詩に神はいないが、こう言っているようにも聞こえる。

 

悲しんでいる者たちは幸いである 彼らは慰められるであろう

 

 

 ロバート・ブラウニングはビクトリア朝の英国の詩人

 

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会社を辞めて思う

僕が仕事を辞めた1か月後、同じ時期に入社した別の課の元同僚が、

「俺も辞めたよ~ ハハハ。」

とヘラヘラ言って飲みに誘ってくれました。

そんな軽い気持ちで仕事を辞められたら、どんなに楽だったろう。そう思いました。

 

会社員だったときのことを振り返って、今こう思います。

あの会社にいた一年間は自分の人生でボトムだったから、自分のこれからの人生において、今後どんな道を歩もうとも、あの会社に残ることを選択して待っていたであろう人生よりも悪くなることはない。あんなに惨めな気持ちになるくらいなら、もう気負わずに、弱い自分のままでもういいや。そもそも地球はエデンの園なんだから、この楽園でゆっくり生きて行こう・・・

 

 

会社員だった時期は、まったく素の自分になれない時期でした。

たとえ素の自分になったとしても、「営業マン」は完全に向いていない仕事だったと思います。

―何か注文ありませんか?

「ないです。間に合ってます。」

取引先すべてからそういわれたらどうすればいいでしょう?

翌日もまた電話するべきなのでしょうか?

 

取引先に電話をしてはそんなことの繰り返しで、勤務時間は埋まりません。しかたがないので同僚に、

「なにか手伝うことありませんか?」

と聞いてばかり。

仕事がない、必要とされてない・・・たかがそんなことがこんなにつらいんだと初めて知りました。

「仕事がなかったら探せばいい」

と人は言うでしょう。

でも、僕は無理でした。本当に無理でした。

甘えているといわれるのかもしれません。僕もそう思います。でも本当に何もできませんでした。

「そんなの社会人失格だ」とか「どこの会社だってそうだ」とか、それは真っ当な意見でしょう。でも、そうならば、僕は社会人失格でもなんでもいい、僕は一生アルバイトでいいので、ラクして生きて行きたい。そう思うに至りました。

 

僕の今の仕事は国際協力関係の仕事です。

この仕事を始める時は、「上司が嫌な人だったら、3日以内に絶対に辞めてやろう!」という心構えだけは持っていましたが、運よく、上司も同僚も良い人で、仕事自体もストレスが少なく、1年くらい続けられています。

この仕事では出張の経費が30万円くらいかかります。会社員の時は30万円の出張をするなら、最低でも30万円以上は稼がなければいけないと言われました。

今の僕の出張に30万円以上の価値があるかどうかは正直わかりません。

 

この仕事では、最低でも一度に約1000万円のお金が動きます。

僕はそんな大金を支払う側にいる人間の一人です。

会社員時代は数千円の利益を出すためだけに心臓が壊れてしまいそうだったし、精いっぱいやっても数万円しか利益が出せませんでしたから、その時期と比べると、大違いです。

しかも、それは税金です。毎年必ず、僕の仕事がどうとか、僕の営業努力がどうだとかとは無関係に、財務省が勝手に日本国の国際協力の経費として割り当ててくれるお金です。

年収1000万円を稼いでいる人は日本にたくさんいるでしょう。家を買ったり、子供の学費を払ったりして、何百万円から何千万円のお金の重みを理解している人もたくさんいます。

でも、そんな人たちでも、全くの無から1000万円の利益を作り出している人はなかなかいないはずです。

大企業に勤めたり、国家公務員や大きめの自治体の公務員になったりできれば、ある年齢以上まで勤続すれば、意地悪な言い方をすれば、なにもしなくても、年に1000万円が懐に入ってきます。

でも、そういう人を、着の身着のまま一文無しにして、見ず知らずの街へほっぽりだして、「さあ、これから一年間、自分一人の力で1000万円稼いで、ここに持って来い」と言って、いったいどれだけの人が一年間で1000万円を持ってこられるでしょうか。

 

「1000万円の収入を得る」だけなら、自分一人でできます。大企業に入る努力をすればいいのです。

でも、「1000万円の利益を上げる」のは人間一人の力だけではなかなかできません。国家や会社のバックボーンがあるから1000万円という大金を手にできているんでしょう。

 

僕は、僕の人間一人としての力は本当に弱いのだということが、会社勤めの経験を通じてわかりました。

たまたま日本に生まれたから、運よく今の仕事にありついて、経費が30万円もする出張に行かせてもらっています。アフリカの途上国に生まれていたら、どんなに努力をしても、生涯賃金は先進国民の平均的な年収程度にしかならないような気がします。僕なんか真っ先に野垂れ死にしているでしょう。

 

会社員時代を通じて、「僕は一般の会社員的な努力すらできない人間だ」ということは証明されました。

だから、頑張れないなら頑張れないままで、その自分を許してあげながら、生きて行こうと、そう思うようになりました。

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退社、敗北を抱きしめて

 

祖母が亡くなったちょうどそのころ、同僚が訳あって求職をすることになりました。

5月ごろでした。

「やった!営業先が回ってくる!自分で客先を見つけなくていいんだ!ようやく社内失業状態から解放されるぞ!」

と思ったのも束の間。そもそも営業スキルもありませんでしたから、月の売り上げがぜんぜん上がりませんでした。

その月はなにもできなったので、6月はどうすればいいか、直属の上司ではなく、昨年の終わりごろから僕に温和に接してくれた隣の課長に相談をすることにしました。

 

―先月のようになりたくないので、どうすればいいか、どこの客先にどう提案すればいいか教えてください・・・

 

そう聞いたと思います。

「じゃあ、自分はどうすればいいと思うの?この仕事は即興でできるような仕事じゃないよ?」

と言われました。

そして、いろいろ話しているうちに、入社して1年くらい経つのに、業界の営業マンとしていっこうに成長しない僕の受け答えに課長も苛立ってきたようでした。

「あのさ、お前、月末に怒られたくないから、今俺に相談してるだけなの?」

―いや、売り上げに貢献したいからです・・・

「口で言うのはもういいよ。歯を食いしばって、何が何でもここで一生さ、泥水飲んででも頑張っていこうという気はないの?」

―・・・(無言)

「そういう気持ちは君にはないの!?」

 

最初からそういう考えだったのか、それとも1年間にわたるストレスと心労で、心が弱り果てたからなのか、よくわかりませんが、

 

―・・・すみません・・・僕にはそういう気持ちはないです・・・

 

僕はそう答えました。

 

正直に思い返すと、「とりあえず事前に相談しておけば、売り上げがノルマに届かなくても、アリバイにはなる」とか「相談するだけで心がラクになる」とか、そういう気持ちは確実にありました。

当時の僕には「やる気」がまったくありませんでした。仕事に対する意欲が一切ありませんでした。

「頑張らなきゃ、頑張らなきゃ」

「苦手なことに一生懸命取り組まなきゃ」

「社会人になってから本気で頑張ったって自信を持って言えること、僕にはないじゃないか!だから頑張らなきゃだめだ!」

とか、心の中では思っていましたが、会社に行くと、なにもできなくなりました。

 

入社当初から意欲ゼロであったわけではないので、そうなってしまった経緯は本当に複雑ですが、そもそも僕自身が、あまり頑張れない、苦手なものに取り組む根性がない、そういう人間なんだと思います。

この課長も、僕が精神的にやばくなって、メンタルクリニックで薬をもらっているということには気づいていなかったようですが、僕の「頑張りたくない」という人間性には気が付いたようでした。

 

相談をした、隣の課長からは、最終的に

「じゃあ、あなたはウチにはいりません。掃除とか倉庫の整理とか、そういうことをしててくれれば十分です。」

と冷たく言われました。

その課長は、それまで表面的には僕に優しく接してきてくれた人だったので、もう会社に味方が一人もいなくなった気がしました。

僕にガミガミ言っていた上司は、本当はいい人なのです。僕のことを期待して、ガミガミ言い続けてきただけだと言うのは頭では理解できるのですが、心がついてきていませんでした。表面上は優しかった課長から突き放された僕は、直属の上司と一緒に仕事をする営業スキルも気力も心の強さもない以上、もう退職をする道しかありませんでした。

 

―○○さん、すみません、会社辞めさせてください・・・

 

退職は電話で告げました。いきなり職場では言いづらかったからです。

電話した時に泣きました。声を押し殺して号泣しました。自分の情けなさ、上司や同僚への申し訳なさ、自分のみじめさ、ありとあらゆる自己嫌悪の感情が湧き出していました。

あんなに号泣をしたのは小学生のとき以来だったと思います。

僕のことを期待していた人を最低な形で裏切ってしまった僕の無能さ、心の弱さに、本当に悲しくなりました。

 

裏切ってしまってごめんなさい。期待に答えられなくてすみません。いつも僕はつらいことから逃げてばかりだ。いつもそうだ。同じことの繰り返しだった。嫌なこと、辛いことから逃げてばっかりだった。そんな自分がなさけなくて、なさけなくて、会社に入って新しく人生を仕切り直したかったのに、自分がなりたいと思った自分の姿からどんどん遠ざかってしまって、結局自分を期待してくれていた人を最低な形で裏切ってしまった。ほんとうにごめんなさい。

 

僕は31歳にもなって、なんでこんなことで泣いてるんだろう・・・

まったくもって価値のない存在だ。

 

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「どんな仕事をしてるの?」

だいぶ更新の間があきました。。。

 

4月になり、新体制になりました。

直属の上司との相性が悪いということや、別の課の仕事を主にやっていたということは職場の誰もがわかっていたことだったので、僕は

「4月になったら隣の課に移れるぞ!今の上司と別れられる。それまでの辛抱だ」

と勝手に思っていました。

しかし、ふたを開けてみたらどうしたことでしょう。なにも変わりませんでした。

 

新しい期になっても相変わらず僕と僕の上司だけの課で、真となりに上司の机がある状況は変わりませんでした。

だからと言って、直属の上司からなにか仕事がふられるわけでもなく、やる仕事といったら、他の課の営業の仕事と雑用のみ。

 

僕が精神的にかなりやばくなっているということはおそらく誰も気づいておらず、表向きはただの「仕事ができない天然キャラの人」だったので、新体制が発表されたときは上司から、

「おい、一緒に海外営業課がんばろうぜ!」

とか、言われ、お昼ご飯をおごってもらいましたが、「がんばろう」と言ったって何も具体的な仕事をどうもこうも振らない上司とどう頑張ればいいのやらまったくわかりませんでした。

「お前、なにかやりたいことないのかよ!?」

とか聞かれても、

ー特にないです。

とか、強がって、

ーやっぱり営業で入ったので、営業の仕事がしたいですね。

と、力なく答えるだけでした。

 

課内会議で僕の処遇がすこし話題に出たときに、

 

―自信ないです・・・○○課長と一緒にやっていく自信がないんです・・・

 

と言ってしまったことがありました。

 

部の人員がみんな出席している会議の場で上司を名指しで「あなたと一緒にいたくない」に等しいことを言う僕の頭は間違いなくどうかしていました。

当時の僕は何を言われても詰問されているとしか思えなかったです。

 

しかし、上司との性格の不一致だけを責めることはできないです。

そもそも、この会社の僕がいる課の営業は、とってつけたように右から左に商品を流すだけの、そこそこ英語力があればだれでもできるような海外営業ではなく、まるで築地の魚市場の目利きの仲買人のような経験と知識が必要な業種だったからです。

入る会社を間違えたといえばそうなるのでしょうが、そんなこと言っても後の祭りでしょうから、当時の僕にとってはただただ地獄が続いていただけでした。

 

このころ祖母が亡くなって、福岡の実家に帰りました。

祖母の霊前で、子供のころに気が弱いくせに少し目立ちたがり屋で、祖母を不快にさせたこともあったことを思い出し、「あの時からなにも僕は変わってないんだな」と空しくなりました。

火葬の後、親戚から「○○くんはどんな仕事をしてるの?」と聞かれ、「東京の会社で営業の仕事をしているよ」と答えた後、なんだかとっても空しくなりました。

僕がやっていることは会社に来て、「必要とされていないいたたまれなさに耐えているだけ」で、「会社のために利益を上げる仕事」をしていたわけではなかったからです。

 

「仕事」という言葉が嫌で嫌でしょうがなくなり、仕事ができない自分自身が嫌で嫌でしょうがなくなった時期です。

 

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社交不安障害あるある その2

4.職場を決まった導線でしか歩けない

もはや意味が分からないことだと思うのですが、オフィスの床に綱渡りの綱が張ってあるかのように、自由にオフィスの中を歩けませんでした。

自分が歩ける経路が決まっていて、そこからはみ出て動くことがとても怖かったです。

誰もいない朝やみんなが帰ったあとなどは気が晴れやかになって導線をはみ出ても動けたので、やはり人の目が怖かっただけだったのかもしれません。

教育実習中の先生のタマゴたちは、黒板の前の教卓付近から離れることがなかなかできないそうですが、同じような気持ちでしょうか?

 

 

5.職場にお土産を持っていくのが怖い

理解不能な恐怖の極め付けはこれだと思います。

お盆休みに実家の福岡県に帰ったときのことです。

福岡の田舎でゆっくり羽を伸ばし、博多駅で東京に戻る復路の新幹線に乗る前に、お土産コーナーに立ち寄りました。

にわかせんぺいや辛子明太子、ひよこ饅頭(東京にもありますが、元祖は福岡)などが並んでいました。

「職場にお土産買っていこうかな」

一瞬そう思ったのですが、すぐにこう思い直しました。

「でも、上司や同僚とかみんなに配ったりしなきゃいけないな・・・みんなに配るのか、じゃあみんなの机まで配ってまわらなきゃいけないな・・・怖いなぁ・・・緊張するなぁ。目立ちたくないなぁ・・・」

 

決して、「上司から『こんな不味そうなの要らねえ!』とか言われそうだから怖い」のではなく、純粋に「職場でお土産を配る行為が怖い」のです。

「課長、お土産買ってきたんで、一つどうぞ」

「みなさん、福岡土産です。よろしければどうぞ。」

を言うのが怖くて怖くてたまらないのです。決して断られそうだから怖いのではなく、自分という存在を可視化することが怖いのです。

この恐怖心を共有してくれる人がいたらそれだけで親友になれそうです。

 

お土産を買わずに、休み明け、出勤した際、上司から優しくこう言われました。

「お前が福岡に行ったってことはみんな知ってるんだからさ、社内営業とまでは言わないけど、安くても何かお土産とか買ってきたほうが、印象良いし、『あの人気が利いてるね』ってなるもんだよ。」

 

―違うんです、課長。僕がお土産を買わなかったのは、気が利かなかったからではなくて、怖かったからなんです。

だなんて、言えたら苦労しないですよ・・・

 

前の職場(アフリカの大使館)では、休暇でウガンダのビクトリア湖に行ってきた際、何種類かのお土産をいろいろ買ってきて、自分のオフィスの空いている机の上に並べて、

「いろんなお土産を買ってきたので、みなさん好きなお土産を取ってってください!早い者勝ちです!」

と一斉メールを出して、「ひとり物産展」のようなことをして楽しんでしていたくらい僕は快活な性格でした。

 

当時のお土産は、

・ビクトリア湖で捕れた小魚の煮干し

・ジャックフルーツのドライフルーツ

・ナイジェリア製のよくわからないインスタントラーメン

・ウガンダ産のへちま(体洗う用)

・東アフリカ大地溝帯の火口付近から取ってきた軽石(足の裏の角質ケア用)

・大理石でできたカバの置物

・アフリカハゲコウの羽

・アジスアベバの路上で売ってたお茶のような葉っぱ(乾燥大麻ではないと思う)

などでした。

そんなキワモノなお土産を堂々と職場に持参できた僕だったのに、饅頭一箱も職場に持っていくのが怖い。どうしてこんなふうになってしまったんだろう。

 

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社交不安障害あるある その1

社交不安障害でしたので、些細なことが本当に怖くなりました。

突然ですが、社交不安障害あるあるランキングをやりたいと思います。

お題は「普通なら何ともないんだけど、社交不安障害で怖かったこと」です。

顧客としゃべることはもちろん怖かったので、省略します。

ざっと思い返して、↓のようなことが怖かったです。

 

1.電話をかけるのが怖い

2.社内の備品を使うのが怖い

3.商品の送付先を同僚に聞くのが怖い

4.職場を決まった導線でしか歩けない

5.職場にお土産を持っていくのが怖い

 

4の「決まった導線でしか歩けない」とか5の「お土産を持っていくのが怖い」とか、もはや意味不明だと思いますが、ようするに視覚的に目立つことをするのが怖くなるということです。

1から順に説明していこうと思います。

 

・電話をかけるのが怖い

これは鉄板の社交不安障害あるあるです。しーんと静かな職場で同僚がカタカタ仕事をしている時に電話をかけて、同僚に声を聴かれるのが怖い、そう思ったあなたはきっと社交不安障害かもしれません。

電話をすること自体が怖いわけではありません。誰もいないところであれば割と自然に電話ができます。電話をしている声、話している内容を周りの人に聞かれるのが怖いのです。必ずしも仕事の込み入った話ではなくても、なぜか怖いんです。

「営業しろよ、商品を売り込めよ」と上司から言われているので、他人に聞こえるよう営業の電話をしたほうが営業をしているというアピールになるのですが、「他人に聞こえるように電話をすること、それこそが怖い」という状態になっていました。

 

一般的には電話を受けるのも怖くなるそうですが、僕の場合、電話を受けるのはさほど怖くなかったです。電話番をしていればそれだけで勤務時間が埋まる仕事になりますから。

ただ、怖くないのは「○○さんいらっしゃいますか?」や「部長をお願いします」という電話を取り次ぐことだけで、自分が判断をしなきゃいけない電話は怖かったです。正確にいうと自分が判断をした会話を他人に聞かれるのが怖かったということです。

判断と言っても決して大したことではありません。

一度、顧客から間違い電話がかかってきたことがありました。

電話主は知っている会社だったのですが、「○×さんいますか?」とうちの会社にいない人の名前を言います。要件の内容がヘンだし、会社の内線番号一覧表を見て、間違い電話だというのは見当がついたのですが、周りの人が僕の電話の会話を聞いている中で、「恐れ入りますが、間違い電話ではないですか?」と言う勇気がありません。

「もしかしたら僕がその人を知らないだけでは?一覧表に載っていないだけで本当はいる人なのでは?」

との懸念が頭にあったし、「間違い電話の対応」というイレギュラーな会話を周りの同僚に聞かれるのが恥ずかしくて怖かったからです。結局、数分話をして、勇気を出し、「恐れ入ります。弊社は○○ですが、弊社の社員にご用件ですか?」と言ったら、「あ、すみません。間違えました。」と電話を切られました。

受話器を置くと、隣の同僚が「間違い電話かどうかなんて、すぐ気付くじゃん!」と間違い電話に長話をした「天然キャラ」の僕に笑って突っ込んでくれましたが、この時も心臓がバクバクで頭が真っ白でした。

石橋を叩きすぎると逆に壊れてしまうこともあるのです。

 

・社内の備品を使うのが怖い

会社であれば会社の備品としてオフィスに消しゴムやボールペン、バインダーなど、社員が業務で使う用の文房具が棚に置いてあると思います。それを使うのが怖かったです。

消しゴムやホッチキスなどはそこまで緊張しなかったのですが、いちばん嫌だったのはバインダーです。

あまり業務量がなかった僕ですが、それでも一応管理しなきゃいけない書類は出てきますので、バインダーが必要になります。けれでも、「書類を綴じるバインダーってありますか?」と事務職の同僚に聞くことが怖かったです。純粋に「バインダーを使う」という行為も怖かったです。

なぜかと言うと、バインダーはちょっと大きめの文房具だし、机の上に立ててると少し目立つので、躊躇していました(同僚はみんな使っていますが)。

「バインダー欲しいな、でも怖いな・・・(この恐怖感、意味不明です・・・)」

と、仕方ないので、書類は机の引き出しにしまっていましたが、「バインダーあったほうがいいんじゃないの?」と事務職の同僚が持ってきてくれたので、使うことができるようになりましたが、とても緊張しました。

ま、やはり「慣れ」の問題なので、最終的にはバインダーも緊張することなく使えるようになりました。誰か「バインダー使うのが怖かった」という人がいたら友達になりましょう。

 

・商品の送付先を同僚に聞くのが怖い

顧客から依頼された商品を送る袋詰めの作業をしている時です。顧客の会社の宛先がわかりませんでした。

普通なら、

「すみません、○○商事の住所わかんないんですけど、何見れば載ってますか?」

と聞くものだと思うのですが、質問をして目立つのが怖いのと、声を聴かれるのが嫌なのと、顧客の宛先の調べ方も知らないのかと思われるのが怖くて聞けませんでした。

なので、過去に送った伝票をめくって宛先を探していましたが、逆に目立ちます(涙)。

事務職の同僚が見かねて「宛先探すんだったら、私に聞いたほうが早いでしょ!」と宛先の一覧のファイルがどこにあるかを教えてくれました。

同僚には、文字通り「お手数をおかけして申し訳ありませんでした」と言いたくなりました。

体中を妙に冷たい汗がつたっていたのを覚えています。

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抗不安薬を飲む。トリップする。

メンタルクリニックで処方された抗不安薬は「デパス」という精神安定剤としては鉄板の薬でした。

www.walkingafrica.info

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デパス・・・

 

メンタル薬のバファリンや正露丸のようなものです。

これを飲むとだいたい2時間くらいはいい具合に頭がぼーっとして、たとえガミガミ言われていても右の耳から左の耳状態で、ぜんぜんへこたれません。良い意味で「まな板の上の魚」状態で、自分が責められていることがまったくの他人事でいられました(ちょっと言い過ぎかな)。

だいたい毎朝朝礼の前に飲んで、昼まで効果があって、午後はここぞという時以外は自力で耐えるという生活が続きました。

人によっては朝昼夕と一日3回飲む人もいるそうです。

「手放せなくなっちゃう人がいるけど、そうなるとよくないからね~」とメンタルクリニックの先生が言っていたので、注意して飲んでいました。

 

なんども言いますが、職場の人は僕がこういう薬を飲むほど精神的にヘンになってきていたとは気づいてなかったと思います。「ぼーっとしてて仕事ができない天然キャラ」でしたから。

 

この時期に見た映画に「In The Shadow Of The Moon」という映画がありました。

 

www.youtube.com

 (1:30:00くらいから宇宙飛行士のインタビューです)

In The Shadow Of The Moon(邦題:ザ・ムーン)

アポロ計画で月に行った宇宙飛行士のインタビューで構成されているドキュメンタリー映画です。

前半はソ連との宇宙開発競争に勤しむ科学者やケネディ大統領の取り組みなど、ナショナルジオグラフィック・チャンネルみたいなサイエンス・ドキュメンタリーでしたが、1時間30分めくらいからの宇宙飛行士たちのインタビューは「宇宙に行って感性が変わった」というややスピリチュアルがかった内容でした。

 

2分ごとにコックピットから、地球、月、太陽が見え、そして見渡す限りの広大な宇宙空間。圧倒されるような経験だった。

そして気付いた、自分の肉体の分子も、宇宙船の分子も、そしてクルー仲間の肉体の分子も、その原型ははるか昔に宇宙で作られたものなのだと。

全てはつながっていて一体なのだと。他と私ではなく、万物は1つなのだと。

                エドガー・ミッチェル アポロ14号

全てはひとつなんだ・・・

 

 遠く離れた月で親指を立てると、親指の裏に地球が隠れる。すべてが隠れる。愛する人たちも、仕事も、地球自体の問題も。すべて隠れてしまう。我々はなんと小さい存在だろう。だがなんと幸せだろう。この肉体を持って生まれてきてこの美しい地球で人生を謳歌することができて。

                ジム・ラヴェル アポロ8号、13号

仕事が、親指一つで隠れてしまう・・・

 

 あの時以来、気に入らない天気はなくなったよ。天気の変化は素晴らしい。渋滞も人込みも気にならない。地球に戻ったとき、ショッピングセンターへ行った。アイスクリームを食べながら人々を見て地球に生まれて良かったと思った。なぜみんな不平を言うのか?「エデンの園」にいるのに

                アラン・ビーン アポロ12号

アイスクリームを食べながらショッピングするステキな日常が最高に幸せなんだ・・・

 

僕も上司も社長も会社も、地球も、すべては宇宙のかけらだと、僕はいまエデンの園で生きているんだ、そう思うとその時だけはラクになれました。

 

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